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弁護士 筑紫 勝麿(客員)

2015年01月01日

イタリアの夜空に歌う―プッチーニ音楽祭に参加して―

(丸の内中央法律事務所報vol.26, 2015.1.1)

 昨年8月13日、イタリアのピサ近郊の町トッレ・デル・ラーゴの野外劇場で、バックコーラスの一員としてオペラに出演した。演目は三枝成彰氏作曲のオペラ「ジュニア・バタフライ」で、プッチーニ音楽祭の公演として行われた。

 今年で60回目を数えるプッチーニ音楽祭は、1931年に第1回目がこの地で開かれ、その後何回か中断はあるものの、毎年7月から8月にかけてプッチーニが作曲したオペラが上演されている。これまで三大テノールのパヴァロッティ、カレーラス、ドミンゴも出演するなど、ヨーロッパで著名な音楽祭である。この町にはプッチーニが住んでいた邸宅があり、現在は博物館になっていて、その中にプッチーニのお墓がある。

 この音楽祭でプッチーニ以外の作曲者のオペラが上演されるのは異例のことのようだが、ジュニア・バタフライは蝶々夫人の子供という設定なので、オペラ「蝶々夫人」の続編としての扱いを受けたようだ。

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プッチーニ音楽祭の看板の前で

 コーラスグループは三枝氏が主宰する六本木男性合唱団で、今回は42人が日本から参加し、現地でイタリア人が8人参加して、総勢50人でコーラスのグループを編成した。歌詞がイタリア語なので、こういうことがすぐに可能になったと思う。

 我々は本番前のオペラのリハーサルから参加したが、2日前のHP(ハウプトプローベ)では、3時間にわたって全曲を本番と同じように各歌手が歌い、その中でコーラスも二回の出番を暗譜でイタリア語で歌った。さらに、1日前のGP(ゲネラールプローベ)では、出演者が衣装を着けて、本番さながらの演技を行い全曲を歌った。このオペラは一回の休憩をはさんで3時間にわたって行われるが、その中でコーラスの出番は二回、時間にすると5-6分で、スタンバイの時間を入れても30分にもならないので、待ち時間がとても長い。しかし、プロの歌をすぐ近くで聞くことができるので、長い待ち時間が全く苦にならなかった。「芸術を志すのであれば、パリやウィーンなどの本場で修行することが大事」とよく言われるが、本場に行くというのはこういうことか、こうやってプロの歌声を間近で一身に浴びたり、楽団員の楽器の音色を四六時中聞いて身体に沁み込ませることかと、その意味が分かるような気がした。

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観客席から舞台を望む

 練習中は天気が良くて夜空に大きな月を見ながらの楽しい練習だったが、本番の日の天気予報は、なんと70-80%の確率で雨になるというものだった。「ここの予報は当たるのか」などと言うメンバーもいたが、当日、昼ごろから雨が降り始めた。野外劇場の雨というのは公演中止を意味する。我々はわざわざイタリアまで来て、練習だけして本番なしに日本に帰るのかとがっかりした声もあったが、それ以上に深刻なのは、雨で中止になると財政上の問題が出てくるということであった。

 ところが、夕方になると奇跡的に雨が止み、やがて雲の切れ間が見えるようになってきた(三枝さんは昔から晴れ男だと言われている)。夏時間のイタリアは夜の始まりが遅く、8時半くらいまではまだうっすらと明るい。しかし開演時刻の9時半にはすっかり暗くなって、お客さんが続々と詰めかけ、いよいよオペラが始まった。

 三枝さんのメロディは美しい。歌詞はイタリア語なので観客は言葉を理解し美しいメロディに聞きほれているようだった。コーラスの二回目の出番はオペラの最後の場面での合唱で、舞台がクライマックスに達するが、これまで数カ月の練習の集大成として、伸び伸びと声を出した。歌声が夜空に吸い込まれていくような感じで、野外劇場で歌う気持ちの良さを味わった。

 音楽祭に出演するためにピサに滞在したが、一日だけ自由時間があったので、電車で隣町のルッカを訪ねた。ピサから北北東に25キロメートル、電車で30分の町で、ここにはプッチーニの生家があり今でも保存されてプッチーニ博物館となっており、その前の広場にはプッチーニの銅像がある。またこの町には紀元1世紀頃のローマ時代の円形闘技場の遺構があり、アンフィテアトロ広場と呼ばれていて、アリーナであった楕円形の広場の周りの観客席の部分に建物が立ち並ぶ面白い風景ができている。広場への入り口のアーケードが昔の面影を残している。

italia 3.jpgプッチーニの銅像

 ルッカを見学した後、電車でフィレンツェに向かった。距離は65キロメートルで1時間半の旅だが、トスカーナの丘陵地帯の裾野に沿って線路が走っており、南斜面の丘の中腹にヴィラやブドウ畑が広がり豊かな土地であることを感じさせた。

 フィレンツェの街は夏休みの観光客で溢れていた。ドゥオーモ、ウフィッツィ美術館、ポンテヴェッキオなど、人をかき分けて歩く感じで、アジアからの観光客が結構目についた。フィレンツェ駅の表示板を見ると、ヴェネツィア、ミラノ行きや、ローマ、ナポリ行きの列車が何本も表示されている。ということは、利用者が多く、鉄道が主要な交通手段になっているということだろう。フィレンツェからピサまでまた電車で帰ったが、表示板のとおり定刻に発車し、乗り心地も良かった。自由な一日の終わりに、イタリアの鉄道を見直したことであった。

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