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~「自分たちのサッカー」とは何だったのか~
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弁護士 石黒 保雄

2014年08月01日

2014FIFAワールドカップ 日本代表を総括する
~「自分たちのサッカー」とは何だったのか~

 FIFAワールドカップ終了後、この事務所報において日本代表を総括する原稿を書くようになって、早くも3回目を迎えた。また、昨年の夏は、プレワールドカップに相当するFIFAコンフェデレーションズカップについても原稿を書いた(2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会、2013年コンフェデレーションズカップの原稿内容につきご興味のある方は、事務所のホームページをご覧下さい)。
 今回、この原稿を書くにあたり、過去の原稿を久し振りに読み返してみたが、8年前、4年前、1年前にそれぞれ指摘した様々な敗因は、今大会においてもやはり敗因となっていた。すなわち、サッカー日本代表は、世界の強豪と戦ううえで改善しなければならない弱点を、未だ克服できていないと言わざるを得ないのである。

対コートジボワール戦(1-2)

この試合の敗因について、試合後の選手のインタビューからは、「自分たちのサッカーができなかった」というコメントが多く見られた。では、「自分たちのサッカー」とは何であろうか。簡単に言えば、ディフェンスラインを高く保ちつつ、選手が組織的に相手にプレスを掛けてボールを奪取し、そこから細かいパスを連動的につないで相手を崩すというものである。
 しかし、この試合では、両サイドで高い位置取りをしてきたコートジボワールの術中に嵌り、日本は開始当初から前線と最終ラインが間延びしてしまい、相手に対するプレスがまったく掛からなかった。そのため、日本の選手たちはボールを奪取するどころかボールをキープできず、守備に追われ著しく体力を消耗してしまった。
 その中で、前半16分の本田の個人技による先制ゴールは見事であったが、その後はコートジボワールの攻撃の前にピンチの連続となった。そして、後半、ドログバの登場とともに守備の不安定さがより露呈するようになり、後半19分と21分に右サイドのオーリエからいずれもフリーでクロスを上げられ連続失点を許してしまった。オーリエがどうしてあの位置で何度もフリーになっていたのか疑問に感じたが、どうやら香川と長友のいずれがケアすべきであったのか、選手間でも混乱していたようである。その後、日本はチャンスらしいチャンスを作ることすらできず、重要な初戦を落とすこととなった。
 「自分たちのサッカー」という言葉は、今回のワールドカップを通じて、日本代表と一体不可分のものとして論じられた。ある記事によれば、コートジボワールに敗戦した直後のインタビューにおいて、主力選手の一人が「今日みたいな自分たちのサッカーができない状態では、仮に勝っても嬉しくない」という趣旨のコメントを述べたとのことであるが、これが事実だとすればおそるべき勘違いをしていると言わざるを得ない。本来、「自分たちのサッカー」を目指すのは、それが勝利に最も近づくからである。しかし、上記のコメントからは、「自分たちのサッカー」をすることのみが目的化しており、ワールドカップという究極の舞台で勝利を収めるという真の目的が完全に失われている。

対ギリシャ戦(0-0)

日本がギリシャ戦において求められたものはただ1つ、勝利して勝ち点3を得ることであった。しかも、前半38分にカツォラニスが退場となったことにより、ギリシャは後半、ゴール前に守備ブロックを構築し、カウンター攻撃のみの引き分け狙いに切り替えた。よって、日本は、11対10の数的優位のうえ、お家芸であるボール回しを自由にできる状況となり、まさに「自分たちのサッカー」を披露する絶好の機会を得た。
 ところが、日本は、守備ブロックの外側で安全なボール回しを繰り返すばかりで、守備ブロックを切り崩すための連動した攻撃がほとんど見られなかった。サイドからの攻撃も、高いクロスをただ放り込むだけであり、高さと強さを欠く日本の攻撃陣はが強固なギリシャ守備陣に競り勝てるわけがなく、簡単にクリアされてしまっていた。
 このように、日本が高さと強さのある相手に引かれて守備ブロックを構築されると無得点に終わってしまうというのは、2013年10月の東欧遠征(対セルビア0-2、対ベラルーシ0-1)において課題として明確になったにもかかわらず、実際のところ何ら対策が講じられていなかった。おそらく、その翌月に行われたオランダ戦(2-2)及びベルギー戦(3-2)で好結果を出したために、過去の悪い記憶は封印されてしまったのであろう。
 しかし、勝ち点3が絶対に必要であり、そのためには1点を獲らなければならない状況においては、相手のカウンター攻撃というリスクを背負ってでも、守備ブロックの中に数人が突入し、ドリブルとダイレクトパスを組み合わせて勝負するという挑戦が必要であったと思う。
 結局のところ、「自分たちのサッカー」は、相手に引かれて守備ブロックを構築されたときには打つ手がないにもかかわらず、その対策を何も考えていなかったに等しい。相手を問わず何が何でも勝たなければならないワールドカップの舞台において、指揮官であるザッケローニ監督が代替的な攻撃手段を用意していなかったのは、理解しがたいという外ない。

対コロンビア戦(1-4)

この試合の前半は、日本の選手が漸く開き直り、かつコロンビアがスタメン8人を入れ換えたこともあり、日本の攻撃が続き、終了直前に岡崎の同点ヘッドが決まって、決勝トーナメント進出に一縷の望みが生まれた。しかし、後半、今大会最大のスターとなったハメス・ロドリゲスがピッチに現れると、展開は一転し、後半10分にハメス・ロドリゲスの個人技からフリーとなったマルティネスにパスが出され勝ち越し点を許すと、その後は前掛かりとなった日本の背後にカウンターを繰り出され、後半37分と後半45分に易々と追加点を許してしまった。
 試合後の論評を読むと、過去2戦と比較して日本らしいサッカーが見られたというものが多かったが、結果を見れば完敗である。唯一の得点も、前半ロスタイムでコロンビアに気の緩みが見られたときに1本のパスから奪ったものにすぎず、パスで相手を崩して得点するという日本が目指す形によるゴールではなかった。
 コロンビアは、後がない日本が攻撃的に来ることを読んで、カウンター攻撃に終始したが、日本は、このカウンター攻撃に対する守備が極めて弱い。1点目のPKを与えた今野のファウルや、4点目のハメス・ロドリゲスのゴール前のドリブルに振り回されて尻もちをついてしまった吉田の対応など、見ていて悲しくなった。
 「自分たちのサッカー」では、ボールを保持しているときは良いが、ひとたびボールを失うと常にカウンターの危険に晒されている。サッカーにおいてカウンター攻撃への対処が難しいことは事実であるが、そのときにどう対応するかという守備の準備が明らかに不足していたように思う。

まとめ

 前回南アフリカワールドカップの反省を踏まえ、「自分たちのサッカー」すなわち攻撃的なサッカーを目指すという姿勢は間違っていない。しかし、今回の日本代表は、攻撃ばかりに比重がかかり、守備の脆弱さをまるで無視していたと言わざるを得ない。
 日本の選手やマスコミは、「自分たちのサッカー」を貫くことにより、2点取られても3点取れば勝てると考えていたかも知れないが、親善試合や強化試合と本番の国際大会とは全く異なる。昨年のコンフェデレーションズカップ3試合で4得点9失点、今回のワールドカップ3試合で2得点6失点という得失点差を見れば、「自分たちのサッカー」をする前提としての守備に大きな問題があったことは明白である。
 ワールドカップにおいて勝ち残るためには、何より安定した守備が求められる。特に決勝トーナメントの場合、強豪国は前半早い段階で1点を先制すると、守備を固めてそのまま試合を終了させてしまうため(ドイツvsフランス、アルゼンチンvsベルギーなど)、1点取られた後に2点取り返すというのは現実的に見て極めて困難である。
 4年後のロシアワールドカップに向けた日本代表の課題としては、組織的なディフェンスの整備はもちろんのこと、選手個人として、強さと速さ(さらに高さがあれば理想的であるが)のあるセンターバック、強靭なスタミナでボール奪取ができるボランチ、相手ディフェンダーと勝負してシュートまでに持ち込めるセンターフォワードが必要である。もちろん、このような理想的な人材が一朝一夕に生まれるはずもないから、そのような素質のある選手を見極め、4年後を見据えて代表に選び、成長を促すべきである。
 ところが、現実には、その時点時点における有力な選手が代表に選ばれて試合に出続けており、4年後を考えて選手を選考し試合に出し続けるなどということは全く行われていない。これまでの日本代表監督の中で、将来を見据えた独自の選手選考を行ったのは1994年のファルカン唯一人であるが、結果が出ずに1年ももたずに解任された。しかし、アジア勢を中心とする相手との目先の勝敗に一喜一憂しているようでは、4年後のワールドカップで通用しないことくらい、日本サッカー協会はいい加減理解すべきである。

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