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弁護士 石黒 保雄

2011年01月01日

50年振りの早慶優勝決定戦

 平成22年11月3日、神宮球場において、東京六大学野球秋季リーグ戦の優勝決定戦が行われた。対戦したのは我が母校である早稲田大学と、その永遠のライバルである慶應義塾大学であった。通常、東京六大学野球のリーグ戦においては、勝ち点の最も多い大学が優勝となり、勝ち点が同じ場合にはリーグ戦における勝敗の合計により優劣を決することとなるため、これまで優勝決定戦が行われたことは数えるくらいしかない。まして、早大と慶大との間の優勝決定戦となれば、今から50年前の昭和35年秋に行われた伝説の早慶6連戦以来のことであった。

優勝決定戦に至る経緯

 今季のリーグ戦は、この優勝決定戦に至るまで、様々なドラマが存在した。東京六大学リーグは、最終週に常に早慶戦が行われるシステムであるが、早大は、慶大以外の4校から全て勝ち点を得ていたものの、法大と東大にそれぞれ1敗を喫したため、8勝2敗(勝ち点4)で慶大戦を迎えることとなった。他方、慶大は、立大との対戦が引き分け2試合を含む5試合となり、過密スケジュールの影響からか、その間に行われた法大戦に連敗してしまい、6勝4敗(勝ち点3)で早大戦を迎えることとなった。したがって、早慶戦の前提として、既に優勝はこの2校のいずれかに絞られており、早大は、たとえ勝ち点を取れなくても1つ勝てば優勝であり、慶大は、優勝決定戦に持ち込むためには2連勝が絶対条件であった。

 この早慶戦の直前、プロ野球ドラフト会議が行われ、早大からは斎藤、大石、福井という3人の投手が1位指名を受けた。したがって、普通に考えれば1つくらいは勝てるだろうと思うところであるが、早大は、昨年の秋と今年の春、いずれも優勝が懸かった早慶戦で勝ち点を取れず優勝を逃しているように、近時慶大に対して相性が悪く、私も若干不安に思っていた。
早慶1回戦は、当初10月30日(土)に予定されていたが雨のため順延となり、翌31日(日)に行われた。当日、私は、NHKで放送されたテレビ中継を見ていたが、早大は慶大の竹内、福谷の二枚看板を全く打てず、好投の斎藤を見殺しにしてしまい、0-2で完敗した。そして、11月1日(月)に行われた2回戦でも、早大は福谷に抑えこまれ、かつ福井、大石が本塁打を浴びるなど、1-7で大敗した。その結果、両校が8勝4敗(勝ち点4)で全く並ぶこととなり、文化の日である11月3日午後1時から一発勝負の優勝決定戦が行われることとなった。

神宮球場へ

 私は、優勝決定戦前日の夜、ほろ酔い状態で自宅に向かって歩いていたとき、ふいに「明日、子供たちを連れて優勝決定戦を見に行って、早稲田を応援させて早稲田ファンにさせよう」と思いつき、翌日、10歳の長男と6歳の二男を連れて、午前10時半に神宮球場に到着した。当日朝の新聞によれば、前売り券は全て完売しており、当日券が1万6000枚販売されるとのことであったが、既に内野席券は売り切れていた。そこで、ライト側外野席(注:早慶戦は、常に早大が一塁側、慶大が三塁側と決まっている)に入ったところ、さすがにまだ空席が多く、早大応援部の応援舞台を間近に見ることができる前から10列目あたりに並んで座ることができた。

 問題は、試合開始まで2時間半もあるため、子供たちが飽きてしまうおそれがあることであったが、早大応援団による応援の練習や、慶大応援団の挨拶およびエール交換など、見ていて退屈することはなかった。そして、正午を過ぎて昼食を買うため、人混みをかきわけてセンターバックスクリーン裏の売店に向かったが、ラーメンを注文してから受け取るまで20分以上かかるなど、人また人で大混雑の状況となっていた。そして、試合開始時直前にはとうとう満員札止めとなり、騒然とした雰囲気の中で試合開始となった。

早大優位の展開

 早大はこの日、先の慶大2連戦で打線が全く振るわなかったことに鑑み、このシーズン首位打者となった土生を3番から1番に上げ、慶大2連戦でいずれも代打で安打を放った地引を5番に起用するなど、大幅に打順を入れ替えたところ、結果としてこれが見事に奏功した。
 先攻の早大は、慶大先発の竹内に対し、土生のセンター前ヒットに続き、2番の市丸が送らずにライト前へエンドランを決め、いきなり無死一塁三塁のチャンスをつかんだ。そして、3番宇高のレフトへの犠牲フライで1点を先制した後、4番山田のヒットで再び一塁三塁のチャンスとなり、5番地引のセカンドゴロで市丸が生還して2点目を得た。そして、なおも二死二塁から6番杉山のショート内野安打で二塁から山田が生還し3点目を追加した。

 本日の決戦は、斎藤を始めとする早大投手陣がある程度慶大打線を抑えるであろうと予想できたため、早大サイドとしてはいかに点を取るかが鍵であった。それが、このような先制攻撃でいきなり3点を奪ったため、一塁側とライト側は早くもお祭り騒ぎとなり、紺碧の空(注:早大の応援歌。点が入るたびに隣の者同士肩を組んで合唱する)が高らかに鳴り響くこととなった。

 一方、早大先発の斎藤は、初回を三者凡退で切り抜け、その後もバックの好守もあり、4回まで慶大打線にヒットを許さない好投を続けた。そして、5回表、早大は二死一塁三塁のチャンスにおいて、斎藤自らが慶大3番手の福谷からレフト前タイムリーヒットを放ち、4-0とリードを広げた。さらに、早大は、続く6回表、一死満塁から杉山が右中間にタイムリー二塁打を放ちさらに2点を追加し、7回表には、慶大4番手の山形から宇高のレフト前タイムリーヒットにより7点目を追加した。

 このように、試合は早大の一方的な展開となり、大観衆の注目は、依然として慶大打線にヒットを許していない斎藤が、この大舞台でノーヒットノーランを達成するかという点に絞られていた。私たちがいたライト側の早大応援席でも、慶大の攻撃が終了するたびにスコアボードを見て、未だヒットを打たれていないことを確認してどよめきが起こっていた。私自身、この日の斎藤のピッチングには隙がなく、あまりにも早大ペースの試合内容から、このままノーヒットノーランが見られるのではないかと思っていた。

慶大の反撃

 斎藤は、7回裏も慶大を三者凡退に抑え、早大応援席ではいよいよ大記録への期待が高まっていた。早大は、8回表に代打が出た関係で、8回裏の守備からセカンドの宇高がサードに回り、ファーストの杉山に代えて後藤を起用したが、これを見た私は嫌な予感がした。ノーヒットノーランが懸かっている状況で、選手を動かすことにより流れを変えたくないと感じたからである。

 そして、図らずもこの予感は的中してしまうことになる。この回の慶大の先頭打者宮本の三塁ゴロを宇高がファンブルして(記録は失策)、ノーアウトのランナーが出てしまう。斎藤は、次打者の山口を打ち取って一死二塁としたうえで、続く松本にファーストファウルフライを打ち上げさせた。ところが、落下点に入った後藤がボールをキャッチする前にランナーに目をやったため、このファールフライをグラブに当てて落としてしまったのである。
 野球に「タラレバ」は禁物であるが、仮に宇高が三塁ゴロを問題なく処理し、後藤がファーストファウルフライを取っていれば、斎藤は8回もノーヒットノーランを続けていたことになるため、早大を応援する者としては、残念極まりないというのが本音である。

 その後、慶大は、九死に一生を得た松本がレフト前に初ヒットを放つと、続く奥橋、渕上、湯本が3連続タイムリーヒットを放ち、7-3と追い上げた。この段階で、ライト側スタンドには、「早く大石に代えてくれ」という声が渦巻いていたが、何故か應武監督は動かず、斎藤を続投させ続けた。そして、続く慶大の打者は投手の金子であったため、慶大はスクイズを選択したが空振りし、三塁ランナーがタッチアウトとなり二死となった。しかし、金子の代打の伊場が四球を選び、一塁二塁で四番の伊藤を迎えた。

 伊藤は、今年の夏に行われた世界大学野球選手権で全日本の四番を務めた強打者であり、ホームランが出れば1点差になるという局面のため、ライト側スタンドの観衆は祈るような気持ちで勝負を見つめていた。伊藤は、一塁線を襲う強烈なファウルを放ち早大ファンをヒヤリとさせた後、センターバックスクリーンに向かって大きな一打を放った。私は、打った瞬間「やられた」と思ったが、打球はあと一歩届かずフェンスにダイレクトに当たる三塁打となり、二者が生還して7-5となった。この時点で球場の雰囲気はすっかり慶大の応援に圧倒されており、私は「えらいことになってしまった」と感じていた。

 しかし、ここで漸く應武監督は斎藤の降板を決断し、早大応援席からは暖かい拍手が送られ、代わって大石が登板した。大石は、続く松尾を三振に打ち取り、慶大の8回裏の反撃は5点で止まった。

早大優勝

 9回表、投手を使い果たした慶大は、内野手の正木がマウンドに登ったが、押し出しや内野の失策などで、早大に決定的な3点が入った。そして、9回裏、大石が慶大の攻撃を3人で抑え、歴史的な優勝決定戦は10-5で早大が勝ち、4季振り42度目の優勝を飾ることとなった。

 試合終了後、球場内で行われた斎藤のインタビューで、「今日、何を持っているかを確信しました。それは、仲間です。チャンスを回してくれた仲間、慶應という素晴らしいライバルがいて、ここまで成長できたと思う」との名言もあったが、最初から最後まで見応え満載の試合であった。最高の天気の下、最高の雰囲気の中、2人の子供も野球の面白さを堪能しつつ早大ファンとなり、私としてはとても満足した次第である。

以  上

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