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弁護士コラム・論文・エッセイ

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弁護士 石黒 保雄

2008年08月01日

345M

 夜遅く、事務所での仕事を終えて東京駅に向かうと、9番線ホームに、夜行快速「ムーンライトながら」の姿を見かけることがあります。これは、東京駅を午後11時10分に出発し、深夜の東海道本線を走り、翌朝午前6時52分に岐阜県の大垣駅に到着する夜行の快速列車です。
私は、今から20年以上前の中学生の頃に、「ムーンライトながら」の前身である普通電車「345M」(通称:大垣夜行)をよく利用していましたが、その頃の「345M」と今の「ムーンライトながら」を比較すると、あまりの違いに驚くばかりです。

 まず、最も異なる点は、「ムーンライトながら」は全席指定席ですが、「345M」は全席自由席でした。したがって、今の「ムーンライトながら」に乗るために前もって並ぶ必要は全くありませんが、「345M」でいい席を確保しようと思ったら、特に夏休みの時期などは相当早くから並ぶ必要がありました。
私が最初に「345M」に乗ったのは、中学1年の夏休みでした。友人と2人で、青春18きっぷ(日本全国の普通・快速列車に乗り放題の切符)を使って、山陰と北陸を約1週間かけてまわる旅を計画し、その出発にあたって「345M」を利用したのです。
当時の「345M」も東京駅を午後11時過ぎに発車していましたが、私と友人は、万が一座れなかったらとんでもないことになるという不安から、発車4時間以上前の午後7時から東京駅のホームに並びました。もちろん他に並んでいる人は皆無でしたが、そのときの様子から、次回以降は出発2時間前くらいに並べば余裕で席を確保できるという教訓を得ました。ただ、当時は東京発のブルートレインが多数存在していたこともあり、ホームで待っていること自体も楽しかった記憶があります。

 次に大きく異なる点としては、「ムーンライトながら」は基本的に2人掛けの特急用車両が用いられておりますが、「345M」は4人掛けボックスシートの急行用車両が用いられていたことでした。夜行列車である以上眠ることを優先に考えれば、どちらが快適かは言うまでもなく、リクライニングシートとなっている「ムーンライトながら」に軍配が上がることでしょう。
しかしながら、「345M」も「ムーンライトながら」も、防犯上の都合から深夜時間帯でも照明が落ちず、かつこまめに駅に停車するため、アイマスクおよび耳栓でも用意しない限り、熟睡することは極めて困難です。
むしろ、どうせ眠れないのであれば、「345M」のボックスシートの方が夜行列車の旅を満喫できると思います。特に、1人や2人で旅に出る場合、ボックス席の残り3つあるいは2つは見知らぬ方と同席することになりますが、私が「345M」を利用したどの機会においても、同席した方といろいろな話をして楽しい時間を過ごした思い出があります。おそらく、当時の私や友人が中学生であったため、同席した大人の方が気を遣ってくれたに違いありません。
上記で述べた中学1年の夏休みに初めて「345M」に乗車したときは、私と友人と同席した大学生の方と3人で、深夜3時を過ぎる浜松のあたりまでトランプゲーム(大富豪)を楽しみました。私はこの経験を踏まえ、中学3年の夏休みに再度友人とともに「345M」に乗車した際にカード式麻雀を用意したところ、ラッキーなことに同席した方も麻雀好きな方であったため、今度は深夜4時を過ぎる豊橋のあたりまで麻雀に熱中しました。
もっとも、「ムーンライトながら」にも、セミコンパートメントという4人掛けでテーブル付きのボックスシートが設けられておりますが、ほとんどがグループ旅行で使用されているため、「345M」のように見知らぬ者同士が交流することは難しいようです。

 このように、「345M」は、中学生でありながら真夜中に大人の方とゲームを楽しむという私にとっては夢のような体験を与えてくれましたが、その代償を払う機会もありました。
私は、「345M」に乗車したときは、ほとんどの場合そのまま列車に乗り続けて西へ向かう予定を立てていました。当時は、大垣から米原行きの普通電車に乗り継ぎ、米原から姫路行きの新快速に乗るというスケジュールでした。
上記のとおり、午前3時あるいは4時まで起きていて、その後ちょっとウトウトしただけで朝を迎えると、当然のことながらその日中に猛烈な睡魔に襲われることとなります。それでも、友人と一緒のときは、どちらかが起きていたりして相手をフォローできますが、1人旅のときはそれがありません。
私は、中学2年の春休みに1人で九州をまわる計画を立てて「345M」を利用しましたが、当時カメラに凝っていたため、職業カメラマンのような巨大な銀色のアルミ製カメラバッグを中心に、衣類や洗面道具を入れたリュックを担ぎ、貴重品を入れた小さなバッグを肩に掛けて出発しました。
そのときは、「345M」で向かい合わせに座った年輩の方といろいろな話をして、やはり午前3時頃まで起きていたため、上記の米原から姫路行きの新快速に乗るやいなや深い眠りに陥ってしまい、終着の姫路駅のアナウンスで飛び起き、慌てて次の岡山行きの電車に乗り込みました。
ところが、姫路を出発して間もなく、手荷物のうちリュックを新快速の網棚に置き忘れたことに気付き、次の英賀保という駅で下車して、駅員さんに助けを求めざるを得なくなりました。
結局のところ、当該新快速は、私のリュックを乗せたまま折り返して大阪方面へ出発してしまったため、私の九州行きはその時点で終わりとなってしまいました。
この失態から私が学んだことは、一人旅のときは何をさておいても十分な睡眠を確保しなければならないということと、手荷物は1つにまとめなければいけないということでした。

 以上のとおり、私は、「345M」には数々の思い出がありますが、「ムーンライトながら」には未だに乗ったことがありません。そして、残念ながらこれからも乗る機会はないでしょう。なぜなら、仮に寝台のない夜行列車で一晩を過ごしたら、おそらく私の体は1週間以上後遺症に悩まされるに違いないからです。

注)345Mとは当時の国鉄が定めた列車番号であり、列車名がない場合、列車の特定には列車番号を用います。なお、345Mを扱った西村京太郎氏の短編ミステリーとして「大垣行き345M列車の殺意」があります。

以  上

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