• 事務所概要
  • 企業の皆様へ
  • 個人の皆様
  • 弁護士費用
  • ご利用方法
  • 所属弁護士

弁護士コラム・論文・エッセイ

弁護士コラム・論文・エッセイ

ホーム弁護士コラム・論文・エッセイ石黒弁護士著作 一覧 > ドイツW杯・日本代表を総括する
イメージ
弁護士 石黒 保雄

2006年08月31日

ドイツW杯・日本代表を総括する

 「人間は、自分が敗れたときこそ様々な教訓を得るものだ。私は、勝った試合からはかつてなにものをも学び得たことはなかった」(ボビー・ジョーンズ)、「どうやったら敗者になったのかを学び取ったことのない勝者を、私はいまだかつて見たことがない」(ジャック・ニクラス)-これらゴルフ界の巨人が残した金言は、スポーツのみならずあらゆる事柄に妥当するが、それにしてもW杯における日本代表の惨敗後、その原因を徹底的に検討し分析し発表したマスコミ(サッカー専門誌を除く)を私は寡聞にして知らない。W杯開催前、あるいはW杯開催中、あれほど日本代表の試合を盛り上げておきながら、惨敗後はもはや終わったことは関係ないと言わんばかりに、オシム語録や新生日本代表の報道を繰り返す新聞・テレビ番組を見るたびに、この国のマスコミは一体何を考えているのかと呆れてしまう(特に、6月18日に恥も外聞もないような番組構成をした某テレビ局に対してはなおさらである)。

 2002年6月18日、日本代表は、雨の宮城スタジアムにおいて、見ていた誰もが消化不良を起こすような不甲斐ない試合運びに終始し、絶対に勝つという闘争心のかけらすら見せることなくトルコに0-1で敗れた。自国開催の決勝トーナメント1回戦、しかも相手はトルコ、勝てばベスト4も可能というこれ以上ない状況であったにもかかわらずである。このときは、トルシエ監督の不可解な選手起用と交代に批判が集中したが、新たにジーコ監督が選任され、「黄金のカルテット」などというキャッチフレーズが生まれるにつれて、いつしかトルコ戦の本当の敗因について誰も考えようとはしなくなってしまった。これと同じ状況が、4年後の今もまた繰り返されているのである。

 以下では、私なりに考えたドイツW杯における日本代表の敗因を論じてみたいが、紙幅の都合上、残念ながら言いたいことの半分も書けないことを附言しておく。

ジーコ監督の失敗

 ジーコ監督は、言うまでもなく世界の超一流プレーヤーであり、鹿島アントラーズをJリーグ屈指の強豪クラブに育て上げた人物であるが、日本代表の監督としては明らかに不適任であった。

 ジーコ監督は、就任以来最後まで個々の選手の自主性を尊重し、その自由な発想力を期待し続けていたが、ブラジル代表クラスの選手の集団であればともかく、日本代表の選手に対しては余りにも過大な要求であった。日本代表について書かれた種々の書物によれば、ジーコ監督は、「どの位置で相手ボールを奪いに行くか」、「奪ったボールをどのようにつないで速攻に結びつけるか」、「相手方ゴール前で守備を固められたときに、どのように切り崩して行くか」など、チーム戦術上極めて基本的な事項についても選手任せであったというが、これではそれぞれ所属クラブが異なる代表選手に短期間で十分に意思疎通させて有機的な攻撃を展開させることは極めて困難である。実際、ジーコ監督下の日本代表の試合を見ていても、得点が生まれる予感が全く感じられず、数多くの得点シーンも悪く言えば偶々入ったという感じのものであった。そして、W杯本番において露呈した決定力不足を補うために、次の試合に向けてシュート練習を繰り返させたこともまさに付け焼き刃であって、点が取れない(攻撃ができない)真の原因を何ら改善するものではなかった(もっとも、戦術練習を行うには最早手遅れではあったが)。

 ジーコ監督は、自らが経験したブラジル代表と同様、攻撃的なチーム作りを目指したが、上記のとおり失敗に終わっただけでなく、守備面に大きな犠牲をもたらすこととなった。まず三都主アレサンドロをサイドバックに起用し、その後中田英寿をボランチに起用したことによって、日本代表はトルシエ監督時代に比較して明らかに守備が弱くなってしまった。今回のW杯の決勝進出チームであるイタリアとフランスを見ても、W杯で勝ち残るためには強固な守備陣が不可欠であって、速さと高さへの対応に苦慮するという日本代表守備陣の弱点(これはW杯直前の対ドイツ戦以前から分かっていたことである)を克服できないままW杯本番に臨んでも、勝つ可能性は極めて低かった。

 また、ジーコ監督は、選手起用についても、当初は欧州組を国内組に優先させ、それらの融合が終わった後はレギュラー組とサブ組を完全に分けたが、結果として起用されない選手のモチベーション低下に歯止めがかからず、W杯本番においてもチームのまとまりという点では、「ユベントス・スキャンダル」の結果一丸となったイタリア代表の対極にあった。オーストラリアに敗戦した翌日、小野伸二は小笠原満男に対し「昨日は俺らの世代が出たら勝てたな」と言ったとのことであるが、冗談半分にせよ普通であれば考えられない発言であり、代表チーム内に気持ちの面で大きな亀裂が生じていたことが窺われる。果たして、そのようなチームがW杯で勝てるかと言えば絶対にNOであり、気持ちの面においても日本代表はそもそもW杯で闘える状態になかったと言わざるを得ない。

選手のコンディショニングの失敗

 オーストラリア戦、クロアチア戦を見ていて、何より驚いたのが選手の動きの悪さであった。W杯前「日本の選手は暑さに強い」と言われていたのは、1998年フランスW杯のときに抱いた幻想に過ぎなかったのかと思えるほど、暑さによる選手の疲労度は酷く、後半20分ないし30分頃にはほとんどの選手の足が止まっていた。オーストラリア戦の悪夢の3失点の最大の原因はこの点に尽きると思う。

 一般的に、今回のW杯における選手のコンディショニングの失敗は、5月の福島合宿、その後のボン合宿の期間中の体力トレーニングに原因があると言われているが、果たしてそれが全てであろうか。チーム一体となった組織的かつ効率的な動きができず、個々の選手が自ら考えるままそれぞれ全力でボールを追ってしまった結果として、想像以上に早く体力の限界を招いてしまった可能性が高いのではないかと思われる。

 暑さ以外の原因によって、明らかにコンディションに問題がある選手もいた。その筆頭が中村俊輔であって、もともと少ない運動量が一層乏しくなり、ボールを持っても前で勝負せずに横パスに終始していた原因は、大会中を通じて悩まされた発熱の影響によるものであったことに疑う余地はない。そのような状態であったにもかかわらず、ジーコ監督は3試合全てにフル出場させたが、これは中村俊輔に対する強い信頼と、FKに対する期待があったからであろう。

 しかし、そのFKチャンスを得る動きをしなければならない先発FWの高原直泰と柳沢敦も、コンディションに問題を抱えていた。高原直泰は、直前のドイツ戦で右ひざを痛め、W杯の試合には痛み止め注射を打って出場していたとのことであり、柳沢敦は、3月25日に右足第5中足骨を骨折し、6月2日には右太もも裏に痛みを発生させ、十分な練習を積むことができないままW杯の試合に臨んでいた。このようなコンディションの問題が原因だったのか、それとも他に根本的な原因があったのかは定かではないが、高原直泰と柳沢敦は全くと言っていいほどFWの仕事ができないまま、とうとうブラジル戦のスタメンからは外れるに至った。

 このように、日本代表の攻撃の中心選手である中村俊輔、高原直泰、柳沢敦のいずれもがコンディション不良であったことが、オーストラリア戦において駄目押しとなる2点目を取れず、ひいてはオーストラリアの逆襲を許し、日本代表の1次リーグ敗退を決定づけた一つの要因である。がしかし、そのような攻撃陣の状態を把握できず、あるいは把握していたにもかかわらず何らの手段を講じなかったジーコ監督の采配こそが、最大の敗因である。

以  上

(平成18年8月31日)

ページトップ