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弁護士 堤 淳一

2003年09月10日

ネオコン派の台頭とその論理

ネオコン派と呼ばれる人々

 ブッシュ政権がすべてネオコン=Neo-Conservative(新保守主義)と呼ばれる人々によって支配されているかどうかは確かではないけれども、少なくともタリバン征伐を目的とするアフガン紛争や今次のイラク戦争を見る限り、アメリカの軍事・外交戦略がネオコン派と呼ばれる人々の大きな影響のもとに形づくられているのは明らかである。

 ブッシュ政権は決して主知主義的ではないが、軍事・外交戦略にネオコンが持つ理論を摂取し、軍事・外交戦略に理論的な光彩を添えようとしているようにみえる。イラク戦争中のニューズウィーク誌に次のような記事が掲載されている。
ブッシュ政権が主知主義の温床でないことは周知の通りであるが、そのことが「ネオコン」、特に国防副長官のポール・ウォルフォウィッツ、政策担当国防次官補ダグラス・フェイス、副大統領首席補佐官I・ルイス・リビー(以前の政権においてウォルフォウィッツの代弁者を務めていた)のように国防総省および副大統領府において重要なポストにあるネオコンサヴァティヴ派のグループに多大な注意が注がれた理由の一つであろう。(Newsweek,March 31,2003,P50)

 ネオコンという思想は1980年代に政治運動として開花したが、その理論的系譜は第二次世界大戦以前に遡る。自らが哲学的風土を持たなかったアメリカに思想をもたらしたギリシャ哲学者(アリストテレス研究)でシカゴ派哲学の創始者であるレオ・シュトラウス(1899-1973)に起源を有すると言われ、その哲学的系譜はアラン・ブルーム(シカゴ大教授で「アメリカン・マインドの終焉」を著した)とアルバート・ホルステッターに受け継がれ、多くのシュトラシアンと呼ばれる学者を輩出した。

 ネオコン運動は1960年代に台頭した公民権運動を嚆矢とする道徳的・文化的相対論とホワイト・アメリカン(白人優位のアメリカ)の価値観の相対化が、1980年代に流行したmoral correctness(政治的行儀の良さ)を生んだとして、ネオコン派は民主党系の論客と対立した。

 1980年に共和党から大統領選に出馬したレーガン大統領は対ソヴィエト強硬路線を唱えたが、これを熱烈に支持した有権者のなかには多くのネオコン派がいた。ネオコン派のゴールは、アメリカの民主主義に至高の価値を求め「リベラルな民主主義」を全世界に広めることにあるが故に、長年にわたり人権抑圧を続けた「悪の帝国」ソヴィエト共産主義に対抗し、アメリカが軍事的に優位に立ち、冷戦を有利に戦おうとするレーガンドクトリンを支持したのである。

 党内事情から民主党に留まりつつも「元祖レーガン・デモクラット」と言われるアーヴィン・クリストル(パブリック・インタレスト誌を主幹)は今もネオコン派の総帥であるが元はトロツキストであると言われている。また、レーガン政権において国連大使を務めたカーク・パトリック女史は民主党の煮え切らない対ソ戦略に失望し、レーガン陣営へと鞍替えした。この他にもネオコン派と呼ばれる人々の中には民主党からの転向組が多く含まれており、ネオコン思想は元来、左翼知識人の思想変更の産物でもある。この時代の運動を支持したネオコン派にはエドワード・ルートワック(「戦略戦争と平和の論理(1987)の著者)、ジョージタウン大学(ネオコンの拠点)教授のウォルター・ラキュールらがいる。ネオコンの主張を発表するメディアの草分けとしてコメンタール誌(ノーマン・ポードレッツ主筆)、ネイザン・グレイザーが既述のアーヴィング・クリストルと共に主幹する「パブリック・インタレスト」、「ナショナル・インタレスト」がある。グレイザーとクリストルはネオコン派の金看板であり、その周辺に何百人という知識人を集めている。

 ネオコン派は、軍事の優越を唱える強硬派であり、グローバリストでもある。その一方で急進リベラル派上がりであるから同時にリベラル派にも分類される。内にあってはリベラル支持、外に向けては強硬路線をとるネオコン派の思想は二大政党の枠のなかには収まりきらない拡がりを持っている。

 上述のクリストルの息子でウィリアム・クリストル(参考文献1の著者)はもともと共和党員で「共和党戦略家」を自称し、「共和党未来政策委員会」の議長を務め、アーヴィングとは親子で支持政党が違うが、父親の活動を助けるのに役立っている。同じ著書の共著者ローレンス・カプランはもとは民主党左派陣営にいた。
 アメリカを代表する軍事政策の最高峰である戦略国際問題研究所(CSIS)もネオコン派の牙城となっているが、この研究所に籍をおくズビグニュー・ブレジンスキー(参考文献3の著者)はネオコン派であるが、民主党のカーター大統領の国家安全保障問題担当大統領補佐官に就任している。

 CSISに触れたついでに、アメリカのシンクタンクについて述べておこう。もともとアメリカには大小様々(その組織もピンからキリまで)のシンクタンクが簇生し、それぞれが政党や大統領に対する影響力を競っているが、もっとも注目すべきシンクタンクにアメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)がある。1997年6月に結成された新しいシンクタンクであるがそのマニフェストに名を連ねた18名のうち10名がすでに高官になっていたり、その3年後にブッシュ政権の高官になったりしている。その人々とはチェイニー(副大統領)、ラムズフェルド(国防長官)、アーミテージ(国務次官)、ウォルフォウィッツ(国防副長官)、パール(前国防政策委員会委員長)、リビー(副大統領補佐官)、ボルトン(国務次官)らであり、その他クエール元副大統領、イクレ国際戦略研究所研究員、ベネット元教育長官らがいる。
 そして既述のウィリアム・クリストルはNAPCの理事長を務め、また参考文献2の著者ロバート・ケーガンはPNACの思想的支柱をなしている。ウォルフォウィッツ国防副長官と、「歴史の終わり」を著したフランシス・フクヤマは、既述したアラン・ブルームとアルバート・ホルステッターに師事した兄弟弟子である。

 PNACのマニフェストはもともとはクリントン政権(民主党)の弱腰外交に対する批判的な政治宣言にすぎなかった。ブッシュ政権の誕生にあたってはネオコン派は主だった動きをしたわけではなく、応援団席にいたが、共和党が政権をとるや、大統領のブレーンの一部に食い入り、9.11テロ事件について、タリバンをかくも増長させたのはクリントン政権の責めに帰するところがあると総括し、ブッシュ大統領がタリバン征伐を決めるや、世論を背景に政治の表舞台に躍り出たのである。

ネオコンの歴史観

ネオコン派は第一次世界大戦以降の歴史を次のように語る。

 第一次大戦における大規模な衝突によってドイツ帝国、オーストリア-ハンガリー帝国、ロシア帝国が壊滅的な打撃を受け、またイギリスとフランスに戦う意思と行動が破壊された。こうして第一次大戦から第二次大戦間の時代は権力政治によるのではなく「弱さ」から理想を生み出す第一の時期を迎えた。

 アメリカはそれまで数十年の間に、世界有数の経済大国、軍事大国に成長し、第一次大戦には末期に参戦して連合国の勝利に大いに貢献したが、その時点では権力政治に距離をおこうとしていた。

 1930年代にドイツが再軍備して力をつけてくると「集団安全保障」は消滅し、代わってドイツに対する宥和政策がとられるようになった。しかし宥和政策はイギリスとフランスにとって悲惨な失敗に終わった。ドイツは経済と工業の潜在的な力を利用して再軍備を進め、イギリス、フランスはヒトラーの開戦意図を食い止めることはできなかったのである。

 ヨーロッパの戦略と外交の失敗の結果起こった第二次大戦によってヨーロッパ諸国は世界的な大国としての地位をほぼ失った。大戦後、アジア、アフリカ、中東の植民地を維持するに必要な武力を派遣する力を失ったために、500年にわたって帝国として世界に君臨してきたイギリス、フランス、オランダらのヨーロッパ諸国は「戦勝国」であったにもかかわらず植民地から大規模な撤退を余儀なくされ、その結果アジアと中東における戦略的責任をアメリカに引渡した。
 第二次世界大戦末期において、アメリカはヨーロッパが復活して世界の「第三勢力」になり、独力でソ連と拮抗できるようになり、アメリカはヨーロッパから撤退できるものと期待したが、事実は違った。フランスとイギリスは「第三勢力」となる考え方自体を嫌っていた。アメリカの撤退を恐れたのである。こうして第二次世界大戦後50年にわたってヨーロッパは戦略面においてアメリカに依存する状態に陥った。

 冷戦段階において、ヨーロッパの戦略的任務はソ連軍が侵攻してきたときにアメリカ軍が到着するまでの間、自国を防衛することだけにあったが、アメリカが必要と考える軍事費をヨーロッパが支出しないことが常に欧米の緊張のタネとなっていた。ヨーロッパは通常兵力の増強によってではなく、アメリカの核抑止力に満足し、米ソ間の恐怖の均衡と相互確証破壊戦略(MAD=mutual assured destruction アメリカが冷戦時代に依存していた核抑止戦略の一つで、もし一方が他方を攻撃した場合、双方が完全に破壊されるか、もしくは甚大な損害を被るであろうということを予測することによって攻撃しようとする当事者は攻撃を控えるであろうとする前提をいう)によってヨーロッパの安全が確保されると期待したのである。

 冷戦の終結によりソ連という共通の敵が潰滅したため、いわゆる「欧米」の結束と団結を維持、強化するという大義も消えた。しかしヨーロッパは純粋な軍事力の観点のみからは考えられないほど、国際社会からの敬意を維持しているため、アメリカの冷戦戦略はヨーロッパとの同盟を基礎にしてきた。そしてヨーロッパはEUを発展させて統合の約束を果たし、経済力をつけ、アメリカやアジア諸国と対抗できるようになりはしたが、バルカン紛争にみるように冷戦後も軍事力が何より重要な点では変化は生じていない。

ネオコンと"軍事力の優越"思想

 こうしてアメリカはいまや世界中でも空前の軍事力と影響力を持つ地位を獲得した。アメリカの軍事力の規模は、戦争遂行能力と、短時間のうちに世界のどの地域の紛争にも介入できる展開能力を有している点の両面で、他の国の追随を許さない。

 軍事力が強い国は軍事力が弱い国とは違った目で世界をみる。軍事力が強い国は「脅威」を許容できる限度(がまんの限度)を低く設定し、軍事力が弱い国はこれを許容できる限度を高く設定する。強い国は「ならず者国家」の脅威を許し難いものとみる。弱い国は軍事力のハードパワーよりも経済力中心のソフトパワーを重視する世界、国力よりも国際法や国際機関が重要になる国際秩序、強い国の単独行動を禁止し、すべての国が同じ権利を持ち「国際的行動ルール」のもとですべての国が同等に保護される国際秩序を求める。

 フランス、イギリス、ロシアという強国が主導するヨーロッパの権力体制の下で、いつ押しつぶされてもおかしくない頃は、アメリカも、国の安全保障を決定づける最終的要因が軍事力であるという冷酷な論理を根絶することを望んできた。しかしアメリカは、法にもとづく世界秩序を求める理想に賛同はするが、世界を見る視点と、国際紛争を解決する手段としての軍事力の役割に関する見方の違いがなくなるわけではない。現在の一極構造世界では、アメリカは「一国でもやっていける」。地政学的論理の帰結から、ヨーロッパに比較して、国の行動を規制する一般的な原則として多国間主義を支持する強い理由を持ちえない。

 アメリカの理想主義は50年前と少しも変化していない。変化したのは客観的な現実であって、アメリカの性格ではない。冷戦が終わって世界情勢が変化したからこそ、以前からの多国間協定を限定し、新たな協定を拒否することによって、今では負担が重すぎるか、国家主権を制限しすぎると判断される義務からアメリカを解き放とうとする政治勢力(民主党も加わった共和党勢力)が議会で力をつけてきたのだ。

 太西洋岸に点在するまとまりのない植民地の連合体にすぎず周囲をヨーロッパ列強と未開の荒野に囲まれていた時期 いつ潰れてもおかしくない時代ですらアメリカの指導者は自国の「偉大な使命」について共通の信念を持っていた。アメリカは偉大な国にならなければならない。「偉大な国」になるという信念は自国の性格のうちに不可欠な部分、建国の理念のうちに切り離すことが出来ない部分である。

 過去の歴史に照らし平和と安全を左右する決定的な条件は政権の性格である。他国の性格が米国の安全と権益を確保する能力に多大な影響力を与える現実を直視すれば、民主主義の普及・育成のために政権を変更する戦略はきわめて現実的である。世界中に民主主義国家が増えれば増えるほど、世界はアメリカにとって住みやすくなる。

□アメリカにとって人間らしい未来は、理想主義的で自己主張力があり、かつ十分な資金に裏付けられたアメリカの対外政策を必要としている。文明の礼儀と集団虐殺の間、それに秩序と混乱の間に立ちはだかるものは、多くの場合、アメリカの軍事力だというのが事実なのである。

「永久民主革命」

 かくして、ブッシュ政権の戦略は、国際協調主義を峻拒し、いったん悪であると決めた政権は軍事力を持って「交代」を促す。2002年6月1日、ブッシュ大統領は、外国からの脅威は、何処に出現してもそれに先制攻撃をかけ(pre-emptive)、自由を広めるというブッシュドクトリンを打ち出した。
 ネオコン派の人々はブッシュドクトリンはアメリカをベトナム戦争以前の時代奉仕の義務とアメリカの責任が重視された時代へと連れ戻してくれるとして歓迎した。

 ネオコン派の思想はたんなる汎ユダヤ主義ではない。また共和党政権下で開花したといっても、ネオコン派はニクソン、キッシンジャーのようないわゆるリアリスト(現実主義者)ではない。ネオコン派の主張は「永久民主革命」であり、理想主義(ひとつの教義)を併せ持っている。それゆえ、フセイン打倒後のイラクに建設しようとしているのは「リベラルな民主体制」だというのもネオコン派の立場からは首尾一貫しているのである。
 いまアメリカの矛先は北朝鮮に向かっているが、アフリカにもそしてアジアにおいても、アメリカにとって住みやすい世界を求めるためには永久に革命を続けようとするのがネオコン派の思想なのである。

ネオコンの「日本観」

 ネオコン派は日本を次のようにみている。
・アメリカは日米安保条約によって日本を防衛する義務を負っているが、日本はアメリカ防衛のために形だけにしろ武力を行使する義務はない。つまり、日米安保条約は事実上、日本を保護国にしている。
・地政学的にいって、地政戦略に参加できる国とは、自国の国益を超えて軍事力または影響力を行使し、とくにアメリカの権益に影響を与えるほどに既存の地政状況を変える能力と意思を持つ国を言うが、日本は、「参加者」としての資格はない。日本の軍事力は確かに優秀であるが、アメリカ軍の延長とみられているため、地政戦略に参加できない。

  • 日本は中国を含むアジア諸国からも反感を買っており、他方軍事力をアメリカに依存しつつアメリカと経済面で競争している。
  • 独自の歴史と自尊心を持つ日本は、中国ほどではないが、国際社会における現在の地位に不満を持っている。
  • アメリカにとって政治面で日本との緊密な関係を維持することは世界の地政戦略上きわめて重要である。
  • 日本が世界の舞台で指導的な地位を確立するには世界平和維持活動と経済開発に積極的に参加するのが最善の方法である。

 お読みになって如何であろうか。「言いたい放題」を言われているという感を抱かれた読者も多いと思う。将来アメリカの「保護国」である立場から脱し、世界で重要とされる国になるための独自の戦略をわが国が持たなければならない必要性は明らかだと思うのであるが、如何であろうか。

〈参考文献〉

  1. ローレンス・F・カプラン、ウィリアム・クリストル(岡本豊訳)「ネオコンの真実イラク戦争から世界制覇へ」(ポプラ社、2003)
  2. ロバート・ケーガン(山岡洋一訳)「ネオコンの論理アメリカ新保守主義の世界戦略」(光文社、2003)
  3. ズビグニュー・ブレジンスキー(山岡洋一訳)「地政学で世界を読む21世紀のユーラシア覇権ゲーム」(日経ビジネス文庫、2003)
  4. 宮崎正弘「ネオコンの標的」(二見書房、2003)
  5. 副島隆彦「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」(講談社+α文庫、1999)

(2003年9月10日)

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