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弁護士 石黒 保雄

2020年07月01日

固定残業代制度にご注意を!

(丸の内中央法律事務所事務所報No.36, 2020.1.1)

固定残業代制度とは?

 □ 固定残業代(定額残業代)とは、時間外労働、休日労働及び深夜労働(以下、総称して「時間外労働等」といいます)に対する各割増賃金として支払われる予め定められた一定の金額をいいます。これは、企業からすれば、労働者の毎月の時間外労働等の時間数がほぼ変わらない場合、わざわざ毎月の割増賃金を計算する手間を省くことができるというメリットがあり、他方、労働者としても固定残業代の範囲内であれば、あえて不要な時間外労働時間を増やす必要がなく、結果として長時間労働が抑制されるという効果があるため、時間外労働等が恒常化している企業において多くみられる賃金システムです。
 □ 固定残業代制度が時間外労働等に対する割増賃金の支払を定めた労働基準法第37条に抵触するか否かという問題については、最高裁判例の積み重ねにより、割増賃金を予め基本給や諸手当に含めて支払うこと自体は直ちに労働基準法第37条違反とはならないものの、Ⅰ:時間外労働等の対価の趣旨で支払われることの合意があること(対価性の要件)、Ⅱ:時間外労働等に対する割増賃金が所定内賃金と明確に区分されていること(明確区分性の要件)が基本的な有効要件とされています(なお、Ⅲ:割増賃金の金額を超える時間外労働が行われた場合に別途上乗せして割増賃金を支払う旨の合意(差額支払合意の要件)まで必要か否かについては、下級審の裁判例でも見解が分かれている状況です)。
 □ では、上記Ⅰ(対価性の要件)及びⅡ(明確区分性の要件)がいずれも充たされていれば、固定残業代が対象とする労働時間を無制限に設定することができるのでしょうか。時間外労働等が恒常化している企業の中には、基本給を最低賃金額とほぼ同水準に設定し、それ以上の手当を全て固定残業代として支給するシステムを採用するところがありますが、このような場合、固定残業代を時給換算すると80時間相当分ないし100時間相当分にもなる場合があります。
 □ しかしながら、三六協定に定める時間外労働の限度に関する基準(平成10年12月28日労働省告示第154号)によれば、1か月あたりの時間外労働の上限時間は45時間とされ(但し、強行的な効力はありません)、また、平成31年4月より施行された働き方改革関連法により、時間外労働の上限が原則月45時間とされたため、仮に固定残業代が80時間ないし100時間相当の残業を予定したものということになれば、かかる規範との関係が問題となります。
 □ このように、長時間の時間外労働等の対価となる固定残業代の定めの有効性について、近時、東京地裁と東京高裁において異なる判断が下されました(イクヌーザ事件)。以下では、その内容をご紹介したいと思います。

事案の内容

 □ 本件は、アクセサリーや貴金属製品等の企画、製造、販売を営むY社に勤務し、平成27年5月31日付で退職したXが、Y社に対し、基本給に組み込まれていた月80時間の時間外労働に対する固定残業代(入社時から平成26年4月までは8万8000円、同年5月以降は9万9400円)の定めは無効であると主張し、時間外労働等に係る割増賃金及びこれらに対する遅延損害金並びに付加金の支払を求めた事案です。
 □ 本件では、①明確区分性の要件が充たされているか否か、②時間外労働等を80時間組み込んだ固定残業代の定めが公序良俗に反するか否かが論点となりました。

東京地裁平成29年10月16日判決

 □ Xは、上記①の論点につき、Xが受領した給与明細には、基本給に含まれる固定残業代の額及びその対象となる時間外労働の時間数が記載されておらず、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外労働の割増賃金に当たる部分を判別することができないので、明確区分性の要件が充たされていないと主張しました。
 □ しかしながら、東京地裁は、本件雇用契約における基本給に80時間分の固定残業代が含まれることについては、雇用契約書及び年俸通知書において明示されていること、給与明細においても、時間外労働時間数が明記されていること、80時間を超える時間外労働については、時間外割増賃金が支払われていること等を理由に、明確区分性の要件が充たされていると認定しました。
 □ 他方、Xは、上記②の論点につき、Yが主張する固定残業代の対象となる時間外労働時間数は、いわゆる「限度規準告示」が定める限度時間(1か月45時間)を大幅に超えるとともに、過労死ラインとされる時間外労働時間数(1か月80時間)に匹敵するものであるから、かかる固定残業代の定めは公序良俗に反し無効であると主張しました。
 □ しかしながら、東京地裁は、1か月80時間の時間外労働が上記限度時間を大幅に超えるものであり、労働者の健康上の問題があるとしても、固定残業代の対象となる時間外労働時間数の定めと実際の時間外労働時間数とは常に一致するものではなく、固定残業代における時間外労働時間数の定めが1か月80時間であることから、直ちに当該固定残業代の定めが公序良俗に反すると解することもできないとして、本件雇用契約における上記固定残業代の定めを有効としました。
 □ 以上のとおり、東京地裁判決は、本件固定残業代の定めについて、①明確区分性を肯定したうえで、②については、固定残業代が1か月80時間の時間外労働等を対象としていても、実際の時間外労働時間数がこれと同一になるとは限らないことを理由に、本件固定残業代の定めを有効と判断しました。

東京高裁平成30年10月4日判決

 □ これに対し、東京高裁判決は、①については東京地裁の判断を踏襲したものの、②については、以下のとおり判示しました。
 □ 「本件固定残業代の定めは、基本給のうちの一定額を月間80時間分相当の時間外労働に対する割増賃金とすることを内容とするものである。
 ところで、厚生労働省は、業務上の疾病として取り扱う脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準(平成22年5月7日付け基発0507第3号による改正後の厚生労働省平成13年12月12日付け基発第1063号)として、発症前1か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね45時間を超えて時間外労働が長くなればなるほど、業務と発症との関連性が徐々に強まると評価できること、発症前1か月におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できることを示しているところである。
 このことに鑑みれば、1か月当たり80時間程度の時間外労働が継続することは、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の疾病を労働者に発症させる恐れがあるものというべきであり、このような長時間の時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定して、基本給のうち一定額をその対価として定めることは、労働者の健康を損なう危険のあるものであって、大きな問題があるといわざるを得ない。
 そうすると、実際には、長時間の時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定していたわけではないことを示す特段の事情が認められる場合はさておき、通常は、基本給のうちの一定額を月間80時間分の時間外労働に対する割増賃金とすることは、公序良俗に違反するものとして無効とすることが相当である。」
 □ すなわち、東京高裁は、本件固定残業代の定めが存在することは認めたうえで、その効力については、いわゆる過労死認定基準との関連で、1か月当たり80時間程度の時間外労働を恒常的に行わせることを予定するような固定残業代の定めは大きな問題があるとして、「実際には長時間の時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定していたわけではないことを示す特段の事情」がない限り、基本給のうちの一定額を月間80時間分の時間外労働に対する割増賃金とする固定残業代の定めは、公序良俗に違反し無効であると判断しました。

今後の実務に対する影響について

 □ 本件のようないわゆる固定残業代制における残業時間数の上限問題は、これまで判例学説による明確な解釈の方向性が打ち出されていなかった領域ですので、東京高裁が上記のような一定の基準を定立したことは、今後の労働裁判や労働審判に大きな影響を与えるものと思われます。
 □ そして、月間80時間分以上の時間外労働等に対する割増賃金を固定残業代として支払っている企業においては、仮に退職した従業員から時間外労働等に対する割増賃金の請求がなされた場合、公序良俗違反として固定残業代の定めが無効とされると、それまで固定残業代として支払っていた金額も所定内賃金として割増賃金の算定基礎となってしまいます。そうすると、時効にかからない2年分の時間外労働等に対する割増賃金であっても、時間外労働等の合計時間が多いため、数百万円の割増賃金の支払が必要になってしまう可能性があります。
 □ したがって、現時点で月間80時間分以上の時間外労働等に対する割増賃金を固定残業代として支払っている企業においては、直ちに賃金規定を改定し、固定残業代の内容を月間45時間程度の時間外労働等に対する割増賃金に変更しておくことが望ましいと考えます。

以上

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