2013年08月01日
(丸の内中央法律事務所報vol.23, 2013.8.1)
5月28日に北京郊外の万里の長城を出発し、6月29日にパリのヴァンドーム広場に到着するまで、33日間、車でユーラシア大陸を横断した。この企画はイギリスの耐久ラリー協会が主催する「2013年北京パリ・モーターチャレンジ」で、クラシックカーでの参加が資格要件である。私は友人が所有する1953年製のベントレー(当年60歳)で出場した。参加者は100組200人で、欧米、大洋州からの参加が多かったが、アジア勢としては日本から4組が参加した。
コースは、中国を出発した後、ゴビ砂漠を通ってモンゴルに入り、アルタイ山脈を越えてロシアに抜け、シベリアをひたすら西に走って、ウクライナからスログァキア、オーストリア、スイス、フランスと、8か国を通過する。この間、21の都市に宿泊し、またモンゴルではウランバートル以外で7回のキャンプを行って、走行距離は合計で12,247kmになる。
(北京からパリまでの行程はこちらをご覧下さい。→ GO! )
ラリーの朝は早い。5時に起sきて、6時から朝食、その後車の始動や当日のコースの点検を行い、スタートの順番にもよるが8時半ごろには出発する。それからは、簡単な昼食の時間を除いて夕方5時頃まで、8時間から9時間ひたすら走ることになる。一日に平均で400-500kmを走る(ロシアでは600kmを走った)が、舗装されていない道が半分以上なので、車ががたがたと揺れ、夕方車を降りてからもしばらくは身体が採れるなど、体力的にかなりきついレースである。
夕食は午後7時から9時までで、このときは日本人グループが一堂に会して、その日の出来事を語り合う最も楽しい時間だ。飲物はビールが一番の人気で、乾燥しているためか実に美味い。500mlのボトルで4ドルというのが相場。しかし一本飲んで食事を十分食べるとちょうどお腹が良い加減になり、11時頃には眠りにつける。二人一部屋なので、人によってはすんなり眠れないかもしれないが、私の場合は毎日食後にブログを書いていたので、12時過ぎに寝ることも多く、そうなると睡眠時間は4-5時間ということになった。ラリーの期間中は気が張っていたせいか、あまり疲れを感じなかったが、今になってどっと疲れが出た感じがする。これまでの体力の貯金をかなり使ったということだろうか。
コースの中で印象に残るのはやはりモンゴルの砂漠と荒野だ。ゴビ砂漠では舗装道路ではなく、何本もの踏み分け道があるような地域を通ったが、そのどれを取るかによって走り具合が違ってくる(これはその時の運による)。また荒野には、岩、石、砂利、砂、細かい砂など、いろんなものがあり、また、穴ぼこだらけの道、大きな穴、溝、川など障害物が至る所にある。ここを早いスピードで走るとたちまち車が傷んでしまうので、それこそ時速20-30kmの、のろのろ運転で行かざるを得ない。しかし他方でタイムレースでもあるので、ある程度は車の犠牲を覚悟して早く走らないといけない。要はその兼ね合いが、ラリーのゲーム性ということだろう。
モンゴルは自然が実に素晴らしかった。ウランバートルを一歩出ると、そこはもう数百年前と同じ景色だと思われる。なだらかに広がる草原や、赤茶けた大地と山々、そして青い空。さらに、山と山の合間からは、その向こうに広がる人跡未踏の桃源郷のような自然が遠望される。この自然のパノラマをイメージしてもらうために、敢えて比較すればグランドキャニオンが頭に浮かぶが、人の手が入っていない神秘性という点で大きな違いがあるように思われる。
キャンプでの衣食住は、最初は大変だったが、慣れてくるとそんなに悪いものではなかった。 まず衣(着るもの)は、基本的には同じものを何日か着ることになった。乾燥しているのであまり汚れた感じがしないし、また新しいものに着替えても砂ぼこりですぐに汚れてしまうので、結局、替えても替えなくても同じようなものだった。モンゴルでは砂ぼこりが大敵で、パウダーサンドとでも言おうか、実に細かい粉状の砂が、車の中、カバンの中、衣類の中、そして我々の口の中、鼻の中などどこにでも入ってくる。持ち物をビニール袋で覆っても乾燥でビニールが破れてそこから入ってくるので、二重三重にしてやっとカバーできるくらいだ。このパウダーサンドが黄砂となって日本に飛来するのだろうが、とにかく細かいので、我々の手の皮膚の中にも入り込んで象さんの手のようになってしまった。
食は羊の肉を毎日食べるのかと思っていたが、これは事務局がモンゴルの観光代理店(NOMADS)と契約をして、全く欧米風の食事が出された。したがって、トマトや緑野菜から、それぞれ何種類かのハムやチーズ、牛や豚、鶏の料理、パン、ごはん、そしてデザート、コーヒー、紅茶まで、ヨーロッパのホテルで食事をするのとほとんど変わりがなかった。飲み物も地ビールとワインを買うことができたが、ビールがあまり冷えていなかったのが玉に傷というところか。逆に、羊料理のジンギスカンを食べることができず、また、馬乳酒を飲む機会がなかったのは少し残念。
住はテント生活で、私は一人用のテントを用意したが、組み立てるのが簡単でまたすぐにたたむことができて便利だった。テントは継ぎ目がなくすっぽり包まれるような感じなので、虫が入ってくる心配がなく、また二重の覆いになっているので寒さをかなり凌ぐことができた。モンゴルの昼の気温は25度くらいだが、夜は5度以下になる。また一番寒い夜はマイナス7度ということがあった。しかし冬用の衣類をがっちり着て、寝袋にしっかり収まれば、あまり寒さを感じないで寝ることができた。問題は寒さよりもむしろ風で、強い風が吹き荒れるとハタハタとテントが音を立てて揺れるし、また、寝るときに風下に入口が来るように設営していたはずだが、明け方に入口の方から強い風が吹いてきて、外に出るのに苦労したことがあった。7泊のうち3泊は湖のそばでキャンプをしたが、朝起きて湖の冷たい水で顔を洗い、対岸の山々を眺めると、いろいろと不自由なのに何とも言えない満足感があった。
2013年6月29日、パリのヴァンドーム広場に無事到着。
左はベントレーのオーナーで、一緒に走った杉山氏。
右は筆者。2人ともよく日焼けしている。
ラリーの結果は、ドライバーは2人とも元気だったが、車のメカニック上のトラブルが相次ぎ、ウクライナに入ったところからはトラックで運ばざるを得なかった。しかし、フランスで何とか修理をすることができて、33日目のパリに無事ゴールインできた。
今回のラリーのコースには、地理的にも歴史的にも興味深い地域がある。
その中の一つ、ウクライナのルヴィフは世界遺産の町だが、第二次大戦まではポーランドの町だった。20世紀の歴史の証人のような町である。機会があれば、これらのことにも触れてみたいと思う。
(平成25年8月)