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弁護士コラム・論文・エッセイ

弁護士コラム・論文・エッセイ

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弁護士 筑紫 勝麿(客員)

2023年03月31日

上高地

(丸の内中央法律事務所事務所報No.42, 2023.1.1)

はじめに

 ここ数年、休暇の時には上高地に行くことにしている。上高地と言えば、河童橋から穂高連峰を見上げる景色が有名で、読者の中にもその写真を見たことがある方が多いと思う。上高地は冬の間は車が通行止めになるが、春から秋までどの時期に行っても楽しむことができる。私は今年、5月の新緑の時期と10月の黄葉の時期にそれぞれ四泊した。なぜ四泊かと言えば、山の天気は変わりやすいので、短い滞在だと運が悪い時は雨の日ばかりの滞在になりかねないが、四泊もすれば一日は晴れてくれるので、晴れの時に山登りをし、雨の時はホテルで本を読むことにしている。

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梓川 河童橋 岳沢 奥穂高

 今年の秋も黄葉が見事だった。梓川沿いの落葉松の並木は川のどちら側から見ても絵になる景色で観光客の絶好のシャッターポイントだ。この事務所報では、今回目標にした西穂高と岳沢へのハイキングと上高地の魅力について書いてみたい。

新穂高ロープウェイ

 西穂山荘(2360m)に行くには、上高地から登るコースと、岐阜県側にある新穂高ロープウェイで上がってそこから歩き始めるコースがあるが、私たちはパノラマの景色を早く楽しみたいのでロープウェイで上がった。このロープウェイは麓の駅(1090m)から展望台がある西穂高口駅(2156m)までの1066mの標高差を一気に登って行く。

 展望台からの眺めは素晴らしい。穂高連峰と槍ヶ岳をすぐそばに見ることが出来、東南に向かってその延長に、焼岳、乗鞍岳が雄大に広がっている。さらに西に眼を転じて、岐阜の山々を北に見ていくと雪をかぶった石川の白山連山が見える。この展望台はロープウェイの駅の屋上にあるので、老若男女誰でもこのパノラマを楽しむことが出来る。

西穂山荘

 さて、ここから次の目的地は西穂山荘(2360m)で、駅からの標高差は204mである。山荘はすぐ目の前に見えているので簡単に行けそうな感じがするし、ガイドブックでは1時間10分で行けることになっているが、いざ歩き始めると上りあり下りありの山道で結構大変だった。要はいくつかの小さな峰を越えていくのでそのたびに上り下りすることになる。折角上ったのにまた下るのかということになってなかなか山荘に辿り着けない。おまけに前日降った雪が残っていてさらに苦戦を強いられた。ここで登山時間は1時間30分だった。

西穂高のカメさん

 西穂山荘に向かう途中で、初老の男性が少し高い段差を登ることが出来ずに難儀している場面に出くわした。登るための足場を上手く確保することが出来ず、また雪が残っている場所でもあり、奥さんは既に上に登っているものの何も出来ずただ見守るだけで、また私たちも足場が無いので助けることが出来ない状況だった。

 ところが、私たちが山荘について休憩してから20分ほど経ったころ、この夫妻が山荘に到着した。あの段差を良く登って来たなあと感心して、私は思わず彼に「大変でしたね。」と声をかけると、彼は少しはにかみながら嬉しそうな笑顔を見せた。

 登山の教訓は、山を登るには自分の足で歩くしかない、ということだ。そしてまた、少しずつでも歩き続ければ、必ず頂上に着く、ということでもある。それぞれ実にシンプルな教訓だが、それはウサギとカメの話におけるカメの歩みと同じで、西穂のこの男性はこの昔話を彷彿とさせてくれた。

 この後、私たちは東斜面に向かい上高地(1500m)までの標高差860メートルを3時間半近くかけて下山した。翌日、偶然にも小梨平のキャンプ場でこの夫妻と再会した。聞くところによれば、彼らは同じ道をロープウェイの駅まで戻ったが、急いで歩くことが出来ないので、危うく下山する最終便を逃すところだったとのこと。最終のバスに乗って、平湯経由で上高地に来たという次第。なかなか逞しい夫妻だった。

岳沢小屋

 一日置いて、今度は岳沢登りに挑戦した。目的地は奥穂高岳の麓にある岳沢小屋(2170m)だ。この二年の間に2回挑戦したが、どちらも出発時間が遅かったので途中から引き返していた。今回は少し早めにホテルを出て、9時過ぎに登山口から登り始めた。時間の余裕があると気分的に楽で、途中単調な登りコースもあったが、12時前には山小屋に着くことが出来た。上高地(1500m)から標高差670mを3時間ほどで登ったことになる。

 ここからは、上を見上げると奥穂高岳と対面することが出来、下を見ると岳沢のガレ場の先に盆地状の上高地を見ることが出来る。落葉松の黄色と針葉樹の緑色とのコントラストが美しい。休憩している時に山小屋の人が来て、これからヘリコプターが来るので岩場の先に退避して欲しいと言う。山小屋では生活物資や廃棄物の運搬をヘリコプターに頼っており、この日(10月28日)が最後の連絡便による輸送で、山小屋は一週間後の11月3日に閉めるとのことだった。やがてヘリコプターがやって来た。上高地にある基地からあっという間に飛んで来て、山小屋のそばにある狭い広場の上でホバーリングをして、積み下ろしをする。山小屋がどのようにして維持されているのかが分かった瞬間だった。

 1時半に岳沢小屋に別れを告げて2時間かけて麓の岳沢湿原に下山した。合計で6時間半の行程だったが、天気に恵まれてゆっくり楽しむことが出来た。

上高地の歴史とウェストン

 穂高連峰は松本市から遠望することが出来る。冬になると手前の蝶ガ岳や常念岳の連山の奥に、雪でキラキラと輝く穂高連峰を見ることが出来るので、昔の人はあの山にはどうやって行くことができるのかと考えたことだろう。しかし、梓川を遡っていけばいずれは穂高連峰の麓に着くことができると想像したとしても、途中に何か所も切り立った断崖があり、行く手を阻まれてきたのは想像に難くない。

 上高地の開拓の歴史は、17世紀に松本藩が樹木伐採のためにこの地域に入ったことに始まるようだ。開拓の基地として役人小屋が作られているが、その場所は上高地の奥の明神地区で、現在では明神館という山小屋がある。その頃の登山道は、梓川沿いの島々から右(西)に入って徳本峠(とくごうとうげ)を越えていくルートで、木材は梓川を使って流すのだが、人が通れる道が無いので、この峠越えの道が開かれた。その後、1828年(文政11年)には越中富山の僧侶播隆(ばんりゅう)が槍ヶ岳に登り、1885年(明治18年)には上高地牧場が開設されたという記録がある。

 しかし、上高地を広く世に知らしめたのは、何といっても英国人宣教師のウォルター・ウェストンが1896年(明治29年)に「日本アルプス登山と探検」という本の中で日本アルプスをイギリスに紹介したことである。ウェストンも当時の登山道である徳本峠を通って上高地に入り、猟師であった上條嘉門次の案内で穂高連峰と槍ヶ岳に登り、その美しさを本の中で称賛している。ウェストンは日本近代登山の父として称えられ、梓川右岸に彼の顕彰碑がある。

上高地の発展

 1915年(大正4年)に焼岳が噴火し、これにより大正池ができたが、この大正池を利用した水力発電所の計画が持ち上がり、1926年(大正15年)に工事資材運搬用の隧道が、梓川の急峻な崖沿いに手掘りで建設された。1927年(昭和2年)に工事が完了して、これが今日の釜トンネルの始まりとなったが、その後軌道を整備して自動車道として開通。1933年(昭和8年)には乗り合いバスが大正池まで運行を開始し、この年上高地帝国ホテルの前身が開業している。こうして上高地へのルートは、それまでの徳本峠経由から釜トンネル経由に変わり、登山者だけでない一般の観光客に道が開かれた。

 戦後の旅行ブームによって観光客が増加し、これに対応するために道路が整備されて車の乗り入れが頻繁になってきたが、反面自然環境への悪影響が深刻になってきたので、1975年(昭和50年)から上高地への夏場のマイカー規制が始まった。マイカーは途中の沢渡(さわんど)駐車場に置いて、そこからバスで上高地に来るという方式に切り替わったわけだが、その後1996年(平成8年)から、この規制は年間を通して実施されることになった。

 このお陰で、動植物の営みや空気や水の美しさが保たれていると言える。

ニホンザルとの共生

 上高地にはいろいろな動物がいるが、一番知りたい情報の一つはクマに関するものである。実際、クマは上高地のいたるところで見かけられており、登山情報として常に出没情報が掲示されている。曰く、10月1日午後5時ころ、明神から徳本峠に曲がる付近で、ツキノワグマの親子を見かけた、というような内容である。私たちも山歩きに出かける時には熊鈴をつけるようにしており、周りに人気がなくなると鳴らしながら歩いている。またクマは臆病なので、話をしながら歩くと近寄って来ないという。

 しかし、ここで特筆したいのはニホンザルのことである。上高地ではサルをよく見かける。私もサルの集団が移動しているのを何度も見かけたことがあり、また、橋の上や道路の真ん中にオスザルと思しき大きなサルがデンと腰を下ろしていて、通りにくい時もあった。このような時は、基本的にはサルの方に先に通ってもらうことだが、相手が動かない時はやむを得ずこちらが動かざるを得ない。眼を合わせないようにして、あなたの邪魔はしませんよというように、ゆっくりと歩いていくのがコツだ。サルには食べ物などを与えないようにという観光協会の掲示があるが、それが守られているおかげか、サルが寄ってきて食べ物をねだって人に害を加えるなどということは聞いたことが無い。お互いに同じエリアにいながら、平和に共生しているわけである。

 上高地のニホンザルは、世界で最も寒い場所に生息する霊長類とされているが、このほど信州大学の研究チームが、ニホンザルはイワナなどの魚を食べて越冬することを発見し、イギリスの科学誌に発表した。この研究チームは今年1~3月に上高地の3地区に設けた12台のセンサーカメラなどで計14回、魚を捕獲するサルをとらえた。4つの群れのうち3つで恒常的に魚を食べる行動を確認したそうである。湧水の影響で冬でも水温が5~6度に保たれ、栄養価の高いエサが取れる環境がこのような行動を生み出したと考えられている。

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林の中のサルの親子

上高地の魅力

 上高地の魅力は何といっても、穂高連峰の神々しい姿と自然の美しさと言える。河童橋から穂高連峰を見上げる時、人は急峻な雪渓やごつごつした岩肌など大自然の造形に魅せられる。

 夜になると漆黒の闇の中で、濃紺の空に山の稜線が浮かび上がってくる。そして天空を見上げると満天の星が瞬いている。

 上高地で素晴らしいのは、自然が、ごみや騒音の無い状態で保たれていることである。多くの観光地で見られるような立て看板や騒音公害が無く、ごみも落ちていないような状況だ。このような自然は、上高地を愛する先人の努力の賜物であり、現在のわれわれが後世に残していくべき素晴らしい財産である。

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