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弁護士コラム・論文・エッセイ

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弁護士 筑紫 勝麿(客員)

2024年03月21日

ロータリークラブ

(丸の内中央法律事務所報No.44, 2024.1.1)

1.はじめに

 ロータリークラブという名前を聞いた方は多いと思いますが、それではどんな活動を行っているかご存じでしょうか? 私は今年の7月から東京ロータリークラブの会長に就任し、実際にいろいろな活動を行っていますので、この機会にロータリークラブのことを紹介したいと思います。読んでいただいて、これからロータリークラブに関心を持っていただければ幸いです。

2.ロータリークラブの活動

 ロータリークラブは、奉仕と親睦を旨とする会で、現在、日本に2206クラブがあり、会員総数は8万3600人です。

 もともとはアメリカで、1905年に創設されました。日本では、1920年に東京ロータリークラブが最初のロータリークラブとして設立されました。

 ロータリークラブの主な活動である奉仕活動については、五大奉仕として、職業奉仕、社会奉仕、世界奉仕、青少年奉仕、クラブ奉仕が上げられます。このうち社会奉仕は、社会福祉施設の支援、自然災害への義援金などであり、青少年奉仕は、内外の留学生の送り出しや受け入れ、奨学金の給付などです。

 また、親睦は、会員相互の繋がりを深めるために、家族夕食会や旅行会などが企画され、このようなイベントの後には会員相互の関係が緊密なものとなります。ロータリークラブは絶好の異業種交流の機会でもあります。

 それでは、このような活動を行うロータリークラブはどのようにして始まったのでしょうか? 日本にはどのようにして導入されたのでしょうか? これらについて、二人の人物を紹介しながら話しを進めていきます。

3.ポール・ハリス―世界のロータリーの始まり

ロータリークラブと一業一人制

ロータリークラブは、1905年にシカゴで創設されました。提唱したのはポールハリスという弁護士です。設立に至る経緯は興味深いものなので、ここで紹介します。

 弁護士としての彼の仕事は相当に繁盛していました。しかし仕事の満足とは別に、彼は何とかもっと人間らしい、心温まるような付き合いは出来ないか、何とかして気の許せる仲間は得られないだろうかと、ひたすら心の友を求めていました。

 そんなある時、数人の市民と話しをする機会がありました。ところが彼らは自分から冗談を言ったり、愚痴を言ったりしています。ポールがここで気が付いたことは、彼らの職業がみんな違っていることでした。ポールは思わず膝を打って、これだとうなずきました。この一業一人という線で会員を集めれば、きっと楽しいクラブが出来ると確信し、やがてこれを実行に移して出来たのがロータリークラブです。

 当時も今もアメリカにはたくさんのクラブがあります。大学卒業生のクラブ、弁護士のクラブなどで、これらはいずれも立派な会館を持ち、これを経営しています。しかしいろいろな事情でクラブ会員間に格差がついて必ずしも楽しいものとはなっていません。ところが、ロータリーでは職業分類という点であらゆる会員が平等の立場にあり、また一業一人ですから業種内の競争関係もないので、当初からロータリーは評判が良く入会者も多くなりました。しかも庶民の集まりですから、なるべく気軽なものにするために会館を持たず、あちらの事業場、こちらのホテルと会場を変えていきました。このように引越しして歩く、回って歩くところからロータリーと名付けられました。自分の会館を必要としないことが、世界的発展の理由の一つとなったと言われています。

親睦から奉仕の団体へ

 ところでロータリークラブに集まる人々はいずれも事業家、職業人ですから、話題と言えば当然商売の話にもなります。一業一人制という仕組みは成功して、会員は他人とは思えないような親しい間柄となり、お互いに相談しあい、助け合い、ついには会員同士の取引やサービスの提供となって、実利的にも便利な存在となりました。 

 その後ロータリーは、内部での議論を経て、「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる One Profits Most Who Serves Best」,「超我の奉仕 Service Above Self」という標語を掲げ、職業奉仕の団体、そして社会奉仕の団体としての性格を明らかにしていきました。

 このようにロータリーでははじめに親睦があり、ここから職業奉仕が生まれ、社会奉仕に成長して行きました。言いかえれば、ロータリーははじめから救世主的な、あるいは神がかり的な意図から出たものではなく、親睦の間から自然発生的に奉仕が展開してきたと言うことです。したがって、ロータリーの本質はと問われれば、「親睦の中から奉仕の理想を生み出す会」と答えて良いかと思われます。

  

4.米山梅吉―日本のロータリークラブの父

1920年東京ロータリークラブの創立

 日本のロータリークラブの創立は、米山梅吉と福島喜三次という二人の人物の出会いから始まります。

 1918年、米山梅吉は三井銀行の役員であった時に経済使節団の一員として渡米し、当時テキサス州ダラスロータリークラブに在籍していた福島喜三次と出会いました。そして、福島から聞いた「ロータリーとは利己のない奉仕の精神と行動である」という話に強い共感を持ち、日本での創立に動きました。

 東京ロータリークラブは、1920年10月20日に東京の銀行クラブで創立総会を行い、米山を会長に、福島を幹事に選任しました。こうして、日本で最初のロータリークラブが誕生しました。

 設立から3年後の1923年9月1日に関東大震災が発生しました。この時東京ロータリークラブは、アメリカなど世界各地のロータリークラブから義援金や救援物資を受け入れましたが、義援金は8万9千円あまり、現在の貨幣価値にすると3億円にも上るものでした。この義援金を活用して、ロータリーの家という孤児院を建設し、また多くの小学校に教科書や備品を寄贈しました。このようにして東京ロータリークラブの本格的な社会奉仕活動が始まったと言われています。その後の東京ロータリークラブは、奉仕活動の一環として、国の内外での自然災害に対して、会員から募った寄付を義援金として送る活動を続けています。

 今年も全国的に気候変動の影響が大きく、猛暑と共に豪雨災害が多発しましたが、このうち、秋田県豪雨災害に対して、地区ロータリーからの呼びかけに応じて義援金を送りました。また、ハワイ・マウイ島の森林火災の被害に対して、さらには、モロッコの地震災害に対して、会員の支援金を募って義援金を送りました。

奉仕の人―米山梅吉

 日本ロータリーの父と呼ばれる米山梅吉は、1868年に東京芝田村町に生まれました。父の死去を受けて、静岡県三島市近郊の米山家の養子となり、19歳で渡米し、帰国後は三井銀行に入行しました。その後派遣米使節団の一員としてアメリカ滞在中に、福島喜三次と出会い、1920年に日本で最初のロータリークラブとして東京ロータリークラブを設立したことは、上に述べたとおりです。24年には日本初の信託会社、三井信託株式会社を設立し初代社長に就任。晩年は三井報恩会を通じて社会文化事業を支援し、また私財を投じて青山学院初等部を設立し教育にも貢献しました。

 米山梅吉は1946年に亡くなりますが、その功績を称え後世まで残るような事業として、1953年に米山基金が設立され米山奨学事業がスタートしました。2023年度の外国人奨学生の数は900人、事業費は14億4千万円。これまでの累計奨学生数は2万3509人に上っています。

(参考文献)

・東京ロータリークラブ百年史
・ロータリー入門書

(了)

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