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弁護士 石黒 保雄

2012年01月01日

労働審判制度と未払残業代請求

 「もしもあらゆる従業員から正規の残業代を請求されたら会社経営はどうなるか」、このような心配をされた経験のある経営者の方々は少なくないと思われます。我が国では、いわゆるサービス残業が多く見られ、特に中小企業においては、サービス残業なくしては経営が成り立たないというところもあるやに聞いております。

 実際のところ、企業に従事している従業員が在職中に未払残業代を請求するというケースはほとんどなく、問題となるのは、企業を退職した従業員がかつて在籍していた企業に対して在職中の未払残業代を請求するというケースです。このような未払残業代請求は、これまでも示談交渉や裁判などでしばしば争われておりましたが、平成18年4月から導入された労働審判制度により、従業員側から会社側に対する未払残業代請求が迅速かつ容易に行うことができるようになったため、近時、会社側としては、退職した従業員からの未払残業代請求にどう対応するかが重要な経営課題となってきております。

 私は、今年、ある企業(以下、「A社」と言います。)の代理人として、A社を退職した元従業員(以下、「B」と言います。)から申し立てられた未払残業代請求の労働審判手続に関与致しましたので、未払残業代請求に関する労働審判手続の実際をご紹介したいと思います。

労働審判制度とは何か

   労働審判制度とは、上記のとおり平成18年4月から新たに設けられた裁判所における個別労使紛争解決システムです。すなわち、個別労働関係事件について、裁判官1名と労働関係に関する専門的知識を有する労使の専門家2名で構成する委員会(労働審判委員会)が、紛争案件を3回以内の期日で審理し、調停による解決を試み、調停が成立しない場合には、「当事者間の権利関係を踏まえつつ事案の実情に即した解決をするために必要な審判」を行うという制度です(労働審判法第1条)。

 この制度の特徴は、通常の民事訴訟とは異なり、裁判官と労使の専門家による3人一組のチームで、僅か3回の期日で審理を終結させ、迅速かつ柔軟な解決を図るというところにあります。最高裁が公表した統計資料によれば、労働審判の申立から手続終了までの平均所要日数は73.6日(約2か月半)とのことであり、通常の訴訟であれば終結まで1年~2年、仮処分事件でも終結まで3か月~6か月要することに比較すれば、驚くべき速さと言わざるを得ません。
  このような労働審判手続の迅速性が高く評価された結果、労働審判手続の新規事件数は、開始初年度である平成18年度の877件から、4年後の平成21年度には3468件まで急増しております。

 そして、労働審判制度は、概ね次のようなスケジュールで行われます。すなわち、申立から約40日後に第1回期日が行われ、それから約2週間~3週間後に第2回期日、さらに約1週間~2週間後に第3回期日が行われます。もちろん、全ての事件について3回の期日が開かれることはなく、最高裁が公表した統計資料によれば、6割弱の事件が第1回もしくは第2回期日で解決に至っているとのことです。

 このように、労働審判制度においては、上記のとおりたった3回しか期日がありませんので、当事者双方とも、原則として第1回期日までにそれぞれの主張とそれを裏付ける証拠を全て揃えて提出する必要があります。この点、労働審判を申し立てる従業員側は、申立までの事前準備に必要なだけ時間をかけることができますが、労働審判を申し立てられた会社側は、裁判所から申立書の送達を受けてから第1回期日までの約1か月程度で、全ての反論と証拠を纏め上げて答弁書及び書証として提出しなければならないため、非常に厳しい時間的制約を課せられることになります。

 したがって、労働審判制度は、手続開始前の事前準備において会社側にとってかなり負担の大きい制度であるといえますが、以下に述べるとおり、手続自体も会社側にとって難しいと言わざるを得ないと思います。

未払残業代請求事件(事例紹介)

 A社の元従業員であるBは、A社(IT関連企業)に対し、未払残業代及び不当解雇を理由とする損害賠償の支払を求め、労働審判の申立を行いました。本件の大きな争点は、①未払残業代請求に関し、BがA社の「監督若しくは管理の地位にある者」(所謂「管理監督者」。労働基準法第41条第2号)であったと認められるか否か、②不当解雇を理由とする損害賠償請求に関し、解雇の合理性が認められるか否かという点でした(なお、紙幅の関係上、②については詳細を割愛します)。

 未払残業代請求においては、まず、従業員側が残業を行った事実を主張立証する必要があります。この点、A社にはタイムカードがなかったため、Bは、自らが作成した勤務実績表を証拠として提出し、残業時間中のみならず全ての業務時間帯にどんな業務をしていたのかを具体的に明らかにしてきました。
これに対し、A社は、上記のとおり、Bが管理監督者に該当するため、労働基準法に定める労働時間に関する規定が適用されず、残業代は発生しないという反論を行いました。

 この点、労働者が管理監督者に該当するか否かについて、裁判例は、概ね(1)事業経営または労務管理において経営者と一体的な立場にあるか否か、(2)出退勤について自由裁量権があるか否か、(3)基本給、手当、賞与などの賃金面で、そのような地位に相応しい処遇がなされているか否かという3つの判断要素を示していますが、この要件を全て充足するような従業員は稀であり、Bについても、客観的に見て(1)は○、(2)は×、(3)は△という具合でした。

 この労働審判手続の第1回期日では、労働審判委員会、申立人であるB及びその代理人弁護士、相手方であるA社関係者及び私が一同に会し、全員が申立書、答弁書及び双方が提出した書証を全て読んで理解していることを前提に、労働審判委員会が当事者双方に対し様々な質問を行い、それについて各当事者もしくは代理人が答えるという形式で進行しました。また、そのやりとりの中で、双方の代理人が相手方当事者に直接質問を行い、それについて相手方当事者が答えるという場面もありました。
そして、そのような議論が約1時間半ほどなされた後に、労働審判委員会は出席者を全て退席させた上で評議を行い、その後、各当事者を個別に呼んで、本件に関する労働審判委員会の見解(裁判用語では心証と言います)を開示しました。
それによれば、①Bが管理監督者であるとは認めがたく、②Bに対する解雇も不当解雇の可能性が高いというものであり、A社としては全く納得できない内容でした。しかし、労働審判委員会は、「例え訴訟になっても同様の結論になるであろう」と述べ、Bがこの日に提案した和解案(請求額の約8割)を次回期日までに検討するよう求めてきました。

 そのため、A社としては、Bの管理監督者性が否定された以上、Bの勤務実績表に記載された残業部分を精査して、矛盾点(例えば、記載されている業務内容がその時点では既に終了した業務であったり、もしくは未だ開始されていない業務であったりした場合など)を洗い出し、その部分に関する残業の主張を否認できるよう準備を行い、第2回期日に臨みました。

 第2回期日では、A社は、上記のような残業の実態に関する具体的反論を行いつつ、他方で、経営が苦しく多額の解決金を支払い得る状況になく、その点はBも十分に理解していること、仮に管理監督者性を否定するのであれば、これまでBに対し支払った管理職手当は全額返金されて然るべきであることなどを論じて、和解金額の引き下げを主張しました。
  その結果、労働審判委員会は、最終的に労働審判委員会としての和解案(請求額の約3割5分)を提示し、双方当事者に対し、この和解に応じられるか否かを第3回期日までに検討するよう求めました。なお、第3回期日において、双方当事者がこの和解案に同意したため、本件労働審判事件は調停成立により終了しました。

まとめ

 以上のとおり、労働審判事件においては、通常の訴訟と異なり、第1回目の期日において労働審判委員会が心証を得てしまいます。そして、第2回目以降の期日においては、かかる心証を前提に和解に向けた話し合いが進められていくため、その後にその心証を覆すことは事実上困難であると言わざるを得ません。

 そのため、労働審判委員会に不利益な心証を取られた当事者としては、和解を拒絶するという方法もあります。この場合、労働審判委員会はその心証に従った審判を言い渡すことになりますが、これに不服のある当事者は2週間以内に異議の申立を行うことができ、これにより審判はその効力を失い、申立のときに遡って、事件が係属している地方裁判所に訴えの提起があったものとみなされます。
 しかしながら、一度不利益な審判を言い渡された当事者が、訴訟において逆転判決を得るというのも容易ではなく、むしろより不利益が拡大してしまうおそれすらあるため、労働審判委員会が提示した和解案を拒絶することは、相当に難しい選択であります。

 したがって、相手方である会社側において重要なのは、第1回期日までに提出する答弁書及び書証を周到に準備することと、第1回期日において口頭による主張立証の補充をしっかり行うことにより、労働審判委員会にいかに有利な心証を得てもらうかという点に尽きると考えられます。

 また、未払残業代請求については、労働審判事件が係属した後において、当該従業員が残業をしていないという立証は一般的に見て困難であるため、会社側としては、①できるだけ残業をさせない、②時間外・休日労働に関する労使協定(三六協定)を締結するなど、残業代を発生させないという事前の対応が重要であると考えられます。

(平成24年1月1日)

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