
2019年02月25日
(丸の内中央法律事務所事務所報No.34, 2019.1.1)
ある日の出勤途中、有楽町の映画館「スバル座」に貼られていた公開予定の作品ポスターにふと目が止まった。今年の2月21日に急逝した名俳優、大杉漣さんの最後の主演作、そして最初で最後のプロデュース作品となった「教誨師」という映画のポスターだった。
黒いスーツに身を包み、分厚い聖書を手に持った大杉漣さんが、真っ白な廊下で一点を見つめて佇んでいるというもので、「死刑囚6人との対話が始まる。」というシンプルなキャッチフレーズが印象深かった。(映画「教誨師」公式サイト)
私自身、弁護士という職業柄、死刑制度には強い関心があったこと、そして、大杉漣さんにはある出来事をきっかけとして特別な想いがあったことから、この作品は必ず見なければならないと思い、公開日をメモして事務所に戻った。
私がなぜ大杉漣さんに特別な想いを抱いているのかというと、大杉漣さんから偶然声を掛けてもらったことがあるためである。
3年ほど前、私は新宿ゴールデン街にある馴染みの店で、明け方までお酒を楽しんでいた。
時計の針も午前5時を指し、空も徐々に白んで来たことから、そろそろ家路につこうと思い、店を出て駅に向かって歩き始めたところ、突然誰かが後ろから私の肩を叩き、渋い声でこう声を掛けて来た。
「おぉ、青年!!こんな時間までどうした!?」
私が驚いて振り返ると、声を掛けて来たのはなんと大杉漣さんだった。芸能関係者と思しき人を2〜3人引き連れており、よほど楽しく飲んでいたのか、非常に上機嫌な様子で、満面の笑みを浮かべていた。
『そこのお店で飲んでいて、これから帰るところなんです。え、それより、大杉漣さんですよね!?僕ファンです!』
名前はもちろん知っているが、本当は大杉漣さんがどんな人なのか、この当時の私はよく知らず、ファンと言うほどでもなかった。多少の社交辞令も交えながら、私がそう答えると、大杉漣さんは嬉しそうな顔をしながらこう続けた。
「そうだよ!そんなことより、君のような若者が朝まで酒を飲むというのはいいことだ!!よし、俺がお小遣いをあげよう!!」
そう言うと、大杉漣さんは突然お財布の中から1万円を取り出し、私の手に握らせようとして来た。
『え、え、そんな。お金なんて頂けませんよ!』
私はそう答えて、慌ててお金を返した。
「ははは、それもそうか!それじゃ、これからも酒をどんどん飲めよ!!」
笑いながらそう言うと、大杉漣さんは仲間の元に戻り、再びゴールデン街に消えて行った。
突然の出来事に驚き、私はしばしその場で呆然と立ち尽くしていたが、これはもしかしたら大杉漣さんと一緒にお酒が飲めるいいチャンスかもしれないと考え、ゴールデン街に戻り、いくつかお店を覗いて回った。しかし、残念ながら大杉漣さんを見付けることは出来なかった。
そんな大杉漣さんの遺作となった映画「教誨師」は、教誨室での会話劇が中心で、役者達の演技力が強く求められる作品だった。
この映画の中で、大杉漣さんは、教誨師として活動を始めたばかりの牧師に扮し、死刑囚達に優しく寄り添いながらも、自分の言葉が彼らに本当に届いているのか、死刑囚が心安らかに死ねるよう導くのは正しいことなのか、生きていく心を説いているはずなのに、いつか訪れる死刑を手伝うという相矛盾する活動に苦悩・葛藤する、難しい役を見事に演じていた。
ネタバレとなってしまうため、詳細な内容を語ることは差し控えるが、非常に大杉漣さんらしい、優しさや包容力、そして人情味に溢れる作品だった。
この映画を観終わった後、私は大杉漣さんの人柄をもっと知りたいと思い、追悼記事に片っ端から目を通していたところ、後輩俳優が語ったこのエピソードが非常に印象深かった。
「ご自身が独立されたときに、若い俳優さん、伸び悩んでいる俳優さんをたくさん入れて、彼らに仕事がくるようにって、ギャラも安ければ、そんなにやりたくない仕事でも、『彼らを出してくれるなら俺はやります』って言ってやってたんですよね、後期は。」(「津田寛治、大杉漣さんの人情味溢れる行動に感服『あんなに愛の深い人は本当にいない』」より引用)
俳優という仕事を愛し、後輩達に優しい気遣いを見せ、そして私のような偶然道端で会った若造までも面倒を見ようとしてくれた大杉漣さんの優しさを垣間見ることができ、私も後輩俳優のように扱ってくれたのかと思うと、何故かとても嬉しく感じた。
大杉漣さんとの出会いはほんの一瞬の出来事であったが、後になって改めて彼の人柄を知るに連れて、今ではすっかり大ファンになり、早過ぎる別れが非常に残念でならない。
私も大杉漣さんのように、優しさと包容力と人情味に溢れた人間となれるよう、引き続き精進して行きたいと思う。