


2026年06月18日
(丸の内中央法律事務所報No.48, 2026.1.1)
近年、クマが住宅街や学校周辺に出没し、人身被害が相次いでいます。環境省の発表によれば、令和5年度のクマによる人身被害件数は過去最多となり、生活圏への出没が深刻な社会問題となりました。こうした状況を受けて、令和7年法律第28号による鳥獣保護管理法(正式名称「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」)の改正が行われ、「緊急銃猟」という新たな枠組みが導入されています。
一方で、現場では「クマが目の前にいるのに、警察官も自衛隊も簡単には撃てない」というねじれた構造が長く存在してきました。野生動物の捕獲は本来「狩猟」の問題ですが、クマの駆除は同時に「武器の使用」の問題でもあり、狩猟法制、警察法制、自衛隊法制が複雑に絡み合います。本稿では、狩猟制度の歴史からスタートし、警察と自衛隊の権限・武器使用の違いを整理したうえで、今回の法改正で何が変わったのかを解説します。
日本の狩猟は、明治期以降、専用の法制度のもとで管理されてきました。明治6年の「鳥獣猟規則」、明治28年の「狩猟法」などが制定され、その後の改正を経て、昭和38年に「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」(いわゆる旧鳥獣保護法)となります。
現在の基本法は、平成14年法律第88号「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」です。旧鳥獣保護法を全面改正して、「保護」と「管理」、そして「狩猟の適正化」を三本柱とする構造になりました。同法1条は、鳥獣の保護と管理のための事業を行い、猟具使用の危険を予防することで、鳥獣の保護・管理と狩猟の適正化を図ることを目的とすると定めています。
この法律の重要なポイントは、基本的には「野生鳥獣の捕獲は禁止」であり、例外的に「狩猟」や「許可捕獲」が認められるという枠組みになっていることです。農林水産省の資料でも、狩猟と許可捕獲以外の野生鳥獣の捕獲は原則禁止であり、被害防止や個体数調整などの目的で捕獲する場合には、都道府県知事等の許可が必要であることが繰り返し示されています。
狩猟とは、鳥獣保護管理法2条8項で「法定猟法により、狩猟鳥獣の捕獲等をすること」と定義されており、狩猟鳥獣以外の鳥獣の狩猟は禁止されています。狩猟を行うには、狩猟免許の取得と、都道府県ごとの狩猟者登録が必要で、狩猟期間、区域、猟具など、細かな制限が設定されています。
クマの駆除は、伝統的には「狩猟」ではなく、農林業被害や人的被害を防止するための「有害鳥獣捕獲」の枠組みで取り扱われてきました。これは、都道府県知事や市町村長が、特定の地域・期間・方法を定めて許可を出す仕組みであり、自治体が猟友会などのハンターに捕獲を委託する形が一般的です。
次に、クマが住宅街に出た場面で「誰が武器を使えるのか」という観点から、警察と自衛隊の権限について整理します。
警察官については、「警察官職務執行法」が基本法です。同法7条は、警察官が武器を使用できる場面を、「犯人の逮捕・逃走防止」「自己や他人の防護」「公務執行に対する抵抗の抑止」に必要な場合に限ると定めています。ただし、人に危害を与える武器使用は、正当防衛・緊急避難などの要件を満たす場合などに限定され、厳しい制約のもとにあります。
ここで重要なのは、条文構造上、警察官の武器使用は「人」を対象とした場面を前提としており、クマなどの野生動物に対する銃撃は明文で想定されていない点です。そのため、クマへの発砲は、あくまで「人の生命・身体を守るための緊急避難・正当防衛」として位置づけられ、例外的に正当化される運用がとられてきました。
これを踏まえ、警察庁は令和5年3月に「熊等が住宅街に現れ、人の生命・身体に危険が生じた場合の対応における警察官職務執行法第4条第1項の適用について」という通達を出し、住宅街にクマが現れた場合、猟友会員等に対して警察官が発砲を命じ得ることを整理しています。もっとも、この場合でも、鳥獣保護管理法38条による住宅密集地での銃猟禁止との関係や、正当防衛・緊急避難との整合性が問題となり、現場判断に大きな負担がかかっていました。
一方、自衛隊は「自衛隊法」に基づき、主として防衛出動、治安出動、災害派遣などの枠組みで活動します。災害派遣(自衛隊法83条以下)では、人命や財産の保護のために派遣されますが、基本的には救助・輸送・給水などの「支援活動」が中心であり、動物駆除を目的とする派遣は想定されていません。武器の使用についても、自衛隊の防衛出動等とは異なり、災害派遣やいわゆる「民生支援」では原則として武器の使用は認められていないと理解されています。
報道等でも、自衛隊がクマ被害地域に派遣される場合であっても、その任務は住民の避難支援や輸送などに限られ、クマを銃で駆除することまでは予定されていないことが強調されています。過去に北海道で行われたトド駆除のような例は、「訓練」として扱われた特殊なケースであり、現在の法体系のもとで直ちに一般化できるものではありません。
要するに、クマ出没時の「直接駆除」の主役は、あくまで鳥獣保護管理法に基づく有害鳥獣捕獲の許可を受けたハンターであり、警察は住民避難・交通規制などの安全確保、自衛隊は必要に応じた災害対応や支援が中心で、いずれも「クマを撃つ役」ではない、というのが従来の大枠でした。
しかし、こうした仕組みは、クマが住宅街や学校周辺を移動し続けるような「動く危険」への対応としては十分とはいえません。環境省は従来から「クマ類出没対応マニュアル」や「特定鳥獣保護・管理計画作成のためのガイドライン(クマ類編)」を整備し、出没予防から緊急対応までの流れや、関係機関の役割分担を示してきました。
また、クマの出没が差し迫った場合の「緊急的な捕獲」についても、自治体が許可捕獲の枠組みの中で柔軟に対応できるよう、環境省は技術的助言やガイドラインを出してきました。「緊急銃猟ガイドライン」(環境省自然環境局)では、クマ類の生態や銃猟に精通した捕獲者・事業者との連携、事前準備から捕獲後の処理まで、一連の対応フローが示されています。
しかし、根本的な問題は残っていました。鳥獣保護管理法38条は、日没後や住宅が集合している地域などでの銃猟を原則として禁止しており、まさに「人の生活圏」での銃猟は想定されていませんでした。そのため、住宅街にクマが立てこもっているような場面では、鳥獣保護管理法上は銃猟が禁止されている一方で、人命保護のためには迅速な駆除が必要という、法的ジレンマが生じていたのです。
このジレンマを解消するために導入されたのが、「緊急銃猟」という新制度です。環境省の報道発表によれば、今回の法改正の背景は、クマやイノシシが人の日常生活圏に出没し、人身被害が増加していること、とりわけ令和5年度のクマ被害が過去最多となったことにあります。
改正のポイントは、クマ等が人の日常生活圏に侵入し、人の生命・身体への危害を防ぐ措置が緊急に必要であり、銃猟以外では的確かつ迅速な捕獲が困難で、かつ避難等により住民に弾丸が到達するおそれがない場合に、市町村長が「緊急銃猟」として銃猟を委託できるようにした点です。
具体的には、改正法により鳥獣保護管理法34条の2以下として緊急銃猟に関する規定が置かれ、市町村長は、自らの職員または委託した者に対し、住宅周辺など従来は銃猟が禁止されていた場所であっても、厳格な条件のもとでクマ等の銃猟を実施させることができるようになりました。併せて、通行禁止・避難指示(34条の4)、他人土地への立入り(34条の3)、財産への損失補償(34条の6)などの規定も整備されています。
さらに、銃砲刀剣類所持等取締法との関係についても、警察庁の通知により整理されています。緊急銃猟は、有害鳥獣駆除の用途として行われる銃砲の使用にあたり、銃刀法施行令1条の「特定有害鳥獣駆除」に該当するとされました。そのため、公共の空間における発射禁止(銃刀法3条の13)や、許可銃砲等の発射禁止(同法10条2項)との関係では、緊急銃猟として行われる発射は、これらの禁止規定の適用除外となると明示されています。
また、緊急銃猟によってやむを得ず財産に損害が生じた場合には、市町村長が通常生ずべき損失を補償することとされ、その結果、銃砲所持者本人に対しては原則として銃刀法10条3項違反による行政処分を行うのは適当でないとされました。
では、緊急銃猟の導入により、警察と自衛隊の役割はどのように変わったのでしょうか。まず、緊急銃猟の実施権限はあくまで「市町村長」にあり、警察はその実施判断の権限を持ちません。警察庁の通知でも、緊急銃猟の権限は市町村長にあり、警察は避難誘導、交通規制、警戒活動など、従来から行ってきた住民の安全確保等の協力を続けるとされ、役割分担が明確に整理されています。
同時に、従来の警察官職務執行法4条1項を用いた対応も完全に消えるわけではなく、例えば「クマが現に人を襲っている」「緊急銃猟の手続をとる時間的余裕がない」といった、特に急を要する状況では、引き続き警職法4条・7条に基づく緊急避難的な武器使用が想定されるとされています。
つまり、制度としては、時間的に余裕がある「立てこもり型」や「膠着状態」の事案については、市町村長主導の緊急銃猟で対応し、それでもなお対応が間に合わない「瞬間的な危険」については、警察が従来の枠組みで対応する、という二層構造になったと整理できます。
自衛隊については、緊急銃猟制度の直接の主体ではなく、従来どおり災害派遣等の枠組みのなかで、避難支援や輸送などの「支援活動」を行う位置づけにとどまります。防衛出動・治安出動などでは武器使用が可能ですが、クマ出没への対応はこれらの法定任務には当たらず、実務的には「民生支援」や「災害派遣」の一環とみなされるため、武器を用いた駆除は引き続き困難と考えられます。
従来、日本のクマ対策は、「鳥獣保護管理法に基づく有害鳥獣捕獲」と「警察官職務執行法に基づく緊急避難的対応」の狭間で運用されてきました。狩猟自体は長い歴史を持ちますが、住宅街や学校周辺といった人の日常生活圏で銃を撃つことは、鳥獣保護管理法や銃刀法により厳しく制限されており、「誰が、どの場面で、どのような法的根拠で撃てるのか」が分かりにくい状態でした。
令和7年改正により導入された緊急銃猟は、クマ等が人の日常生活圏に出没した際に、市町村長の責任のもとで、一定の条件を満たす場合に限り銃猟を可能とする制度です。これにより、住宅密集地での銃猟禁止という原則を維持しつつ、例外として「人命保護のための予防的な駆除」を合法化する道筋が示されました。
同時に、警察は住民避難や交通規制など安全確保に専念し、自衛隊は必要に応じた災害対応・支援を行い、実際に引き金を引くのは、市町村長から委託された熟練の捕獲者という役割分担がより明瞭になった点に、この改正の実務的な意義があります。環境省の「緊急銃猟ガイドライン」や「クマ類出没対応マニュアル」では、こうした役割分担を前提に、事前準備から捕獲後の処理までの具体的なフローが示されており、自治体職員や現場の捕獲者にとって重要な指針となっています。
もっとも、実際の現場では、緊急銃猟と警職法による緊急対応の境界線、自衛隊派遣との関係、銃刀法や道路交通法との整合性など、なお検討すべき論点が多く残されています。また、「撃つか撃たないか」だけでなく、そもそもクマが人里に降りてこないようにする生息環境の調整、餌資源管理、地域住民の啓発など、長期的な視点も欠かせません。
今後、判例や運用実績が蓄積されるにつれて、緊急銃猟をめぐる法解釈や自治体・警察・自衛隊の連携の在り方は、さらに具体化されていくはずです。クマ問題は、単なる鳥獣被害対策にとどまらず、「人の安全」と「野生動物の保全」をどのように両立させるかという、現代の環境法制の核心的なテーマの一つといえます。