
2023年03月31日
(丸の内中央法律事務所報No.42, 2023.1.1)
日本最古の歴史書は「古事記」及び「日本書紀」とされており、「古事記」が712年、「日本書紀」が720年に編纂されたもので、既に1300年が経過しています。歴史書としての価値については様々な評価があるようですが、少なくとも今から1300年前に日本の歴史や伝承を調査した記録が現代まで遺されてきているということは、遺すべき価値があるからこそではないかと考えます。今回は、私が最近学び始めた中で、現代にも通じる示唆が含まれているのではないかと考えたエピソードをご紹介したいと思います(両書の正確なエピソードについては各種文献をご確認下さい)。
日本書紀も古事記も、最初は何もない状態から一柱の神様が登場し、その後次々と神様が登場しており、その神様の名称が違ったりしますが、やがて男性神である伊弉諾と女性神である伊弉冉が登場したところは共通しています(この冒頭の物語に日本の国旗が日の丸であることを解釈する興味深い考え方がありますが割愛します)。
伊弉諾と伊弉冉は、2人で天之瓊矛を海原に刺してかき混ぜたところ、その矛の先端から滴り落ちた潮が固まって島(オノゴロ島)ができました。その島に降りた伊弉諾と伊弉冉は島の真ん中に柱を立て、互いに半周ずつ島をまわり、声を掛け合いました。最初は伊弉冉から伊弉諾に声をかけたところうまく子供が産まれず、改めて伊弉諾から伊弉冉に声をかけたところ子供が上手にできて、伊弉冉は日本の島々を産み、さらに多くの神々を産みました。
伊弉冉は次々と神様を生みましたが、迦具土神(火の神様)を産んだときに火傷を負い、そのために死んでしまい、黄泉の国へ行ってしまいました。
伊弉諾は伊弉冉を訪ねて黄泉の国へ行き、その国の御殿の扉越しに伊弉冉に声をかけ、帰ってきてくれるよう頼みました。これに対して伊弉冉は、「もう黄泉の国の食べ物を食べてしまったから帰れません。でも、黄泉の国の神様に相談してみるので、決して扉の中をのぞかないで下さい」と言って伊弉諾を戸外で待たせます。その後暫く待っても返事がないことに待ちきれなくなった伊弉諾は、明かりをつけて御殿の中をのぞいたところ、そこには朽ち果てた伊弉冉の姿がありました。
変わり果てた伊弉冉の姿に驚いた伊弉諾は逃げ出し、醜い自分の姿を見られてしまった伊弉冉は怒って黄泉醜女(黄泉の国の鬼女)を含む追っ手とともに伊弉諾を追いかけました。伊弉諾は追ってくる黄泉醜女に向けて髪飾りや櫛を投げたところ、葡萄や筍が生えてきて、これらを黄泉醜女が食べたので時間稼ぎをすることができました。やがて伊弉諾は黄泉の国の外れにある黄泉平坂に着き、その坂の麓に生えていた桃の木から桃の実を切り取って投げたところ、伊弉冉の発した追っ手は逃げ帰ってしまいました。
伊弉諾は、それでもまだ伊弉冉が追いかけてくるので、黄泉平坂の入口に大きな岩を置き、黄泉の国への道を塞いでしまいました。
伊弉諾と伊弉冉は岩を挟んで向かい合い、伊弉冉が「貴方がこんな酷いことをするから、私は貴方の国の人々を毎日1000人殺します」と言ったところ、伊弉諾は「愛しい妻よ、それなら私は毎日1500ずつ産屋(出産のための小屋)を建てます」と言い、それから日本では毎日1000人が死に、1500人が産まれるようになったそうです。
黄泉の国から帰った伊弉諾は、黄泉の国で付いてしまった汚れを洗い流すために身の回りのものを捨て、水で体を清め、禊をしました。この伊弉諾が捨てたものからも多数の神々が産まれ、体を洗う度にまた神々が産まれました。最後に左目を洗うと天照大神が産まれ、右目を洗うと月読命が産まれ、鼻を洗うと須佐之男命が産まれました。
伊弉諾は、それまで身につけていた大切な珠の首飾りを天照大神に授け、このときから天照大神が高天原(神々のすむ国)を任され、日本における最高神となりました。
他方、海原を任された須佐之男命は、母親のいない寂しさのあまり泣き続けて一旦は高天原を追放されるのですが、姉である天照大神を慕って高天原に戻りました。高天原に戻った須佐之男命は、高天原で暴れ、田の畦を壊したり、神殿の中で用便したり、機織り小屋の中に生き馬の皮を剥いで投げ込んだりしました。
天照大神は須佐之男命が起こした出来事に天岩戸の中に引き籠もってしまいました。すると、天照大神は太陽のような神様ですから、天上界(高天原)も地上界(葦原中国)も闇に覆われてしまい、多くの禍が発生しました。
このような事態に困った神々は、皆で相談し、様々な儀式を行って天岩戸の前に集まり、天宇受賣命が明るく楽しい身振りで踊ると、神々が喜んで拍手を送り、たいそう盛り上がりました。
その楽しそうな様子が天照大神に聞こえたので、天照大神が興味を持ち天岩戸を少し開いて様子を尋ね、神々が天照大神を迎えて元通りの明るい世の中が戻りました。
日本が作られた時代の話として、日本最古の文献には以上のような出来事が書かれています。上記は要約ですから、上記以外にも色々な話があり、その話を踏まえた解釈論があったりして興味深いところですが、まず、読み取れるのではないかと思うのは、トラブルへの向き合い方です。
上記の通り、伊弉諾が黄泉の国の伊弉冉と対峙したとき、伊弉冉から「1000人殺す」と言われても「1500人産みましょう」と返事をしました。
このような考え方は、トラブルが発生したり、相手から攻撃されたとしても、相手を攻めたり反撃したりするのではなく、相手を包み込むような気持ちでそのトラブルに向かっていくことの大切さを示しているように思えます。
このような伊弉諾の心持ちは、伊弉諾が黄泉の国で黄泉醜女などの追っ手から追いかけられたとき、黄泉醜女を斬り殺して反撃するのではなく、葡萄や筍を食べさせて時間を稼いだり、桃の実を投げたりして追っ手自ら退却させたことにも表れているのではないかと考えられます。
そして、伊弉諾のような考え方は、イソップ寓話にある「北風と太陽」と同じなのではないかとも思えてくるのです。
このような心持ちを前提として、トラブルへの対処の仕方を見てみると、最初に伊弉諾と伊弉冉はうまく子供が産まれず、原因は声のかけ方(順序)であると考えて試行錯誤したところうまく子供が産まれるようになりました。天岩戸隠れでは天岩戸から天照大神が出てもらうために神々が話し合った後、楽しく盛り上がることによって自ら天照大神に出てきてもらうことができました。
これらの出来事に共通することは、解決するために相手を責めるのではなく、解決法を話し合い、様々な方策を検討し、明るくトラブルに向き合うということではないかと考えます。向かってきたトラブルをそのまま同じ力で押し返す、というような対応をとっていないことも興味深いところです。
このように、日本古来の神々の伝承から私が感じたことは、トラブルが起きても落ち込まず、相手を攻撃するよりは包み込むような気持ちを持ち、話し合いながら明るく対応していくことがトラブル対応には必要なのではないかということです。うっかりすると相手を責めたり、暗い気持ちになったりしてしまうこともありますが、上記のような心得を忘れないことは現代にも通じるのではないかと考え、今回ご紹介することにしました。
私は、つい最近まで「古事記」や「日本書紀」について、神話として評価されているという程度の認識しか持っていませんでした。しかし、少しずつ日本創造や神々の誕生、その後のトラブルを含む物語について勉強してみると、神様にも人間的な側面があったりして、永年言い伝えられてきたことに対する現代への示唆をも感じるものでした(本稿を機に興味を持っていただけたら幸いです)。
最後に、伊弉諾は黄泉の国から帰ってくることで、妻の伊弉冉を失う(蘇らないことが確定する)わけですが、禊を行った末に最高神である天照大神を産みました。この故事にも「苦あれば楽あり」や「禍福はあざなえる縄のごとし」といった教訓を感じるところであり、悪いことも決して悪いだけではなく、悪いことは良いことの兆しであるという希望を感じるような気がしています。コロナ禍含め明るい話題が少ない昨今ですが、是非明るい世の中になって欲しいと願う今日この頃です。
以上