


2025年10月29日
(丸の内中央法律事務所報No.47, 2025.8.1)
日本の法体系は、憲法を頂点とするピラミッド構造を成しているとされており、憲法に違反する法律は無効であると解釈され、法律に違反する規則も無効であると解釈されています。そうすると、日本の法体系の出発点は憲法ということになりそうです。その日本国憲法は、終戦後の昭和21年(1946年)11月3日に公布され、翌年5月3日に施行されたものであり、今年で78年になります。この間、一度も改正されたことがありません。
諸外国における戦後(1945年以後)の憲法改正を見ると、アメリカは6回、フランスは25回以上、ドイツは60回以上、カナダは15回以上、イタリアも15回以上、オーストラリア、中国、韓国でも複数回の改正が行われていますから、日本国憲法が約80年改正されていないことは世界的に見ても珍しいといえます。
諸外国に揃える必要はないとしても、戦後まもなくGHQ占領下にできた憲法をこのまま残しておくのが良いのかどうか、個人的にはそろそろ国民的な議論も進めても良いのではないかと思ったりします。
他方、憲法について、難しいと感じられる方も多いと思います。私自身、司法試験を受験するときに最も苦手とした科目でした。ところが、現行の日本国憲法ではなく、日本の最古の成文憲法である十七条憲法を見ると、「和を以て貴しとなす」以外にも色々と教訓となることが書いてありましたので、ご紹介したいと思います。
十七条憲法は、聖徳太子(厩戸皇子)によって604年(推古天皇12年)に制定されました。その名前の通り、17条からなり、「和を以て貴しとなす」から始まることについては歴史の授業で習うと思いますが、それ以外についてはご存じない方も多いのではないでしょうか。
聖徳太子が十七条憲法を制定した背景として、当時、中国大陸が約300年ぶりに随によって統一され、強大な隣国として誕生したことや、朝鮮半島の新羅や任那との関係もあり、日本国内の制度を整備する必要性があったとされています。同時期には冠位十二階も定められていますが、この制度は、朝廷に仕える者を12の階級に分け、能力別の人材登用や、外交上の秩序の整備を目指したということも併せて理解される必要があるだろうと考えます。
つまり、十七条憲法は、聖徳太子が周辺国の情勢も踏まえながら日本国内を整備する必要があると考えて制定したものであって、国家の指針として定めたものと考えられます。
また、法隆寺には鎌倉時代の弘安8年(1285年)に施入(寄進)された十七条憲法の版木が所蔵されていますので、十七条憲法の制定から約600年が経っても、十七条憲法が印刷して頒布する程度に国民に読まれていた、ということが分かります。
条文が十七条しかないといっても、全文をご紹介すると大部になりますので、全体像を簡単にご紹介します。
第一条 和を以て貴しと為し、争いを避けて協調を重んじよ。
第二条 仏教を尊び、三宝(仏・法・僧)を敬え。
第三条 天皇の命令には従うこと。
第四条 礼を守り、上下の秩序を大切にせよ。
第五条 公平な訴訟をわきまえよ。
第六条 悪を懲らしめ、善を勧めよ。悪を見ては必ず匡せ。
第七条 それぞれの役職に応じた職掌を守り権限を濫用するな。
第八条 朝早く出仕し、夕は遅く退出せよ。
第九条 何事をなすにも信を込めよ。
第十条 他人と意見が違っても怒らないようにせよ。是非は決められない。
第十一条 功績や過失にかなった賞罰をせよ。
第十二条 この国の民はみな天皇が主であり、税をむさぼってはならない。
第十三条 官に任ぜられた者は職掌を熟知せよ。
第十四条 人を嫉み妬むことがあってはならず、嫉妬の心は逸材を見失う。
第十五条 私心を去って公務を行え。私心は恨みを生じさせ法を損なう。
第十六条 民を使役するには、農耕や養蚕の季節に配慮せよ。
第十七条 物事は独断で行うことなく必ず論じ合うようにせよ。
十七条憲法の全体像を見ていただいて、聖徳太子が様々な教訓を明文化することによって、国の形や常識を作り上げ、その意識が現代にもつながっている実感を得ていただければ幸いです。それぞれの条文に興味深い部分はあるのですが、冒頭の第一条と末尾の第十七条に聖徳太子が伝えようとした教えが強調されているように感じましたので、その2つの条文をご紹介します。
| 一にいわく。和を以て貴しとなし、忤うこと無きを宗とせよ。人みな党あり、また達れる者少なし。これを以て、あるいは君父に順わず、また隣里に違う。しかれども上和ぎ下睦びて事を論うに諧うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。 | 
| 十七にいわく。それ事は独り断むべからず。必ず衆とともによろしく論うべし。少事はこれ軽し。必ずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮びては、もし失あらんことを疑う。故に衆とともに相弁うるときは、辞すなわち理を得ん。 | 
読んでいただければ、なんとなくおわかりいただけると思いますが、「論う」の意味だけご注意ください。現在は言葉尻を捉えて非難するというような意味合いになっていますが、当時は身分差があると頭を下げて平伏しなければならない決まりなどもありましたから、「面を上げて話し合う」という意味の言葉でした。
これを踏まえて現代の意味に要約すると、第一条は、「人々が仲睦まじくすることが最も大切である。人は皆意見の違いがあり、聡明な者は少ないから、上司や親に従わない者もあるし、近隣と争う者もある。ところが、身分や立場の違いがあっても協調して議論を尽くすことができれば、自然と正しい道理に至ることができ、何事も叶えられるであろう」となり、第十七条は、「あらゆることを独断で決めてはならない。小事は自分で決めても構わないが、大事を話し合うときは、誤りがあるのではないかと疑い、必ず議論を尽くしなさい。皆で議論すれば、その中に正しい道理が生まれてきます」というものです。
このように、聖徳太子は、冒頭の条文でも末尾の条文でも「みんなで話し合いなさい」ということを説いています。聖徳太子は自身の考えが正しいから必ず信じろとか、教え伝えていけとか、そういうことではなく、身分や立場の違いを超えて話し合うことこそ重要であるということを説いていることに、十七条憲法の普遍性を感じられるのではないかと思います。また、現行憲法は人権や三権分立など権利や制度に関する条文が多くを占めていますが、十七条憲法は教訓のような内容で占められていることも特徴的です。
十七条憲法の「和を以て貴しとなす」以外の部分について、初めて目にした方はいかがだったでしょうか。職掌を守れ(第七条)、朝早くから働くべし(第八条)、信賞必罰を適切にせよ(第十一条)、職務に私心を入れるな(第十五条)などは、組織運営という観点からしても現代に通用する教訓であり、聖徳太子の知恵が普遍的であるということを思い知らされます。
また、最近の報道や世情を見ていますと、立場や考えの違いを互いに批判し合ったり、「論破」という言葉が用いられたり、対立軸を深めるような考え方が容認されているようにも感じます。どんなときにも仲睦まじく話し合うべし、という聖徳太子の教訓は、どんな立場であっても地球に生きる共同体としての人間が一緒に様々な問題を解決していくための大切な知恵として再び現代に見直されても良いのではないかと思いました。
以上