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弁護士コラム・論文・エッセイ

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弁護士 堤 淳一

2023年10月11日

生きている組織

(丸の内中央法律事務所報No.43, 2023.8.1)  

様々な組織観

 □ 経営学は古い歴史を持ち、経営組織の分類についても様々でありえますが、その一つとして次のように分類する考え方があります〔注1〕。

 ① 組織を、組織目的を合理的に達成するものであるとする観点から、組織を構造的に理解し、その中における人間行動を明らかにする(合理的モデル)。

 ② 人間を多様な欲求や動機を持つ主体として理解し、人間の行動がもととなって組織としての行動が帰結するという風に考える(自然体系モデル)。

 ③ 組織を自己完結的な体系として考えて、その中に人間をおき、その行動や組織行動を考える(クローズド・システム・アプローチ)。

 ④ 組織を環境に開かれたものとしてとらえ、環境との絶えざる相互作用の中に組織現象をとらえようとする(オープン・システム・アプローチ)。

合理的モデル

自然体系モデル

クローズドシステムアプローチ

クローズド=合理的モデル

クローズド=自然体系モデル

オープンシステムアプローチ

オープン=合理的モデル

オープン=自然体系モデル

 □ もし組織が機械として考えられるとすれば(クローズド=合理化モデルや官僚組織のモデルにはそのような傾向があります)、そこで強調されるのは誰が何をし、誰が誰に対して権限を持つかについての秩序正しい仕組(明瞭な階層秩序、権限と責任、規律、安定、それに人員の公正な扱いについての機械的な仕組み)です。

   この考え方はたとえて言えば、「組織は情報処理マシンである」という考え方であり、組織はトップが作成し、決断した戦略ないし経営方針を、職層に応じて解釈し、現場は経営者が決断して与えた情報の一片(piece)を執行するものと考えます。ここにおいては現場において処理される情報は経営者のから与えられた情報の、相似形ではないけれども、経営者の持つ情報の一部であり、あたかもジグソーパズルのピースの如きものとして観察されます。

 □ これに対しては別の考え方がありえます。

   もし組織が生物とみなされるときには、秩序正しさよりも関心が適応性へと移行します。課業と権限のラインは、変化する環境に反応して絶えず造りかえられ、変更されます。オープン=自然体系モデルがそれに近いように思えます。 

   その考え方によれば、企業、従業員、顧客に利益をもたらすための知識は、従業員が持っている暗黙的で、高度かつ主観的な洞察や直感に依存して創造されることがあることを認め、経営の中心的課題は、従業員一人一人の発見をいかに刺激するか、それを引き出し、いかにして企業が全体としてこれを検証し、かつ総合化して利用できるかにかかっているというように考える考え方であります。従業員はもはやジグソーパズルのピースではなく、会社のエンジンです。

   ここにおいては企業の全体戦略はトップの戦略計画ではなく、現場における従業員の行動が要約され、パターン化されたものに外ならないと考えられています。

 □ アメリカにおいて、こうした現実に着目し、1970年代末頃からクリス・アージリス(ハーバード大学)によって「学習する組織」という概念が唱えられ、ピーター・センゲ(MTI)によって概念の体系化が行われ、組織学習のマネジメントが注目されはじめました。

   我が国においても野中郁次郎らによる『ナレッジ・クリエイティブ・カンパニー』は、このような考え方がもともと日本式経営に根付いていることを踏まえ、その体系化を試みています(「組織能力の経営論」ダイヤモンド社、2007所収)。以下の叙述は同書から多くのヒントを得ております。

「上位者は下位者に依存する」というパラドックス

 □ 「学習する組織」のマネジメントにおいては現場従業員の力が重視されます。それは何故でしょうか。

   確かに会社の経営は取締役によって行われます。つまり取締役は会社の利益を上げるための職能担当者として会社から委任を受け(会社法§330)、会社を経営(業務を執行)するものであります。 しかして取締役は自分たちだけで業務(会社法§348)を執行することはできません。会社は労働者を雇用し(民法§623)、組織を編成してそこに労働者を配置して経営を行います。

   ここにおいて会社は使用者employerであり、労働者は被用者employeeという関係を生じます。使用者の意思は会社から委任を受けた者が取締役会を組織し、もしくは取締役会を設置しない会社においては個々の取締役が決定するのでありますから、従業員にとっての使用者はリアルに観察すれば取締役会Board of Directorもしくは取締役Directorであるという擬制が成り立ちます。

   こうして会社の経営は取締役によって行われますが、取締役が経営を行うということは一言で表わせば「自分が思っていること(経営ビジョン)を、組織を通じ、他人の手によって実現すること」であるということであります。

 □ 経営の権限を有する取締役のすべてが、経営に必要なすべての情報や力を保有していると考えるのは擬制に過ぎません。

   会社を興した当時の松下幸之助や本田宗一郎は自ら電球やオートバイを設計し製造したかもしれませんが、いまの松下電器(パナソニック)やホンダはそうはゆきません。同様に今日の大会社のトップエグゼクティブは彼らの保有する権限(人的支配権限。法制上は雇用契約と就業規則による)によって支配する従属者 subordinate に依存しているのです。

 □ もちろん、トップエグゼクティブたちは会社の戦略や会社のビジョンについて構想を保有しているに相違ありません。それはイメージであったり、理想や信念という目に見えないものであるかもしれません。しかしトップエグゼクティブたちが「思っている」ことは組織を通じて実現されなければなりません。そして実現するのは実務レベルの従属者であり、トップの構想自体が従属者との間のコミュニケーションの結果生まれる場合が多いのです。

   いずれの会社においても、トップエグゼクティブは「上位者」に位置付けられ、従属者を下位に置いていますが、上に述べた理由から、「上位者」は「下位者」に依存しているというパラドックスが成立するのです。

 □ しかし会社法のうえでは会社の意思は取締役会によって決定されることになっております(会社法§362条Ⅱ①)から、その意思を解釈し執行するため、会社は業務執行取締役その他従業員に業務権限を分配しているようにみえますけれども、経営情報は「下位者」から「上位者」に伝わり、トップはこれを受け止め取締役会が会社意思として集約し、「下位者」に命じてこれを実施に移す場合が殆どなのです。

   こうして、従業員がその持てる力を発揮し結集された経営力となるように仕向けることが会社にとって重要となり、会社が業績を伸ばすことができるか、優良会社となるかどうかは従業員の力に負うという仮説が成り立ちます。

暗黙知、メタファー、アナロジー、モデル化

 □ 従業員による発見を経営に活かすためのプロセスを可能にするためには、従業員個人のコミットメント、即ち従業員が企業(それを代表する経営者)との間に「企業のミッションについて意識を一つにすること」が必要です。経営者は市場における自社のシェア、生産高、生産性といった、定量的な数値や言語をもって容易に表現できるものにとどまらず、メタファー(暗喩:2つの相異し、どうみても関連を持たない異なる領域に生じた経験を一つの内包的なイメージやシンボルとして合体させること)を利用するために、必要なイメージやシンボルに抵抗感を抱かず、心を開いて従業員個々人が持つ知識を敏感に吸収することが求められます。

 □ 知識には形式知(explicit knowledge)のほかに「暗黙知」(deep smart)〔注2〕があります。暗黙知とは、特殊技術、専門スキル(例えば職人気質・秘伝)にみられるように、その知識の背景をなす科学的、技術的な原理を理路整然と述べることのできないものであり、特定の技術や製品市場、仕事のグループ、チームの活動などの中における一人ひとりのコミットメントに深く根差しているものであり、ノウハウと言うにとどまらず、メンタル・モデルや個人の信念をも包含したものであります。

 □ この暗黙知を形式知として人々に解るようにするためには工夫が必要です。一つは比喩的な言語や、象徴的な表現を蓄積すること、二つめは矛盾をはらむメタファーが表現する直感をより明確にする作業をすることです。三つめはメタファーの矛盾を解決させるアナロジーを用いることです。四つめはこうしたプロセスから得られた解決策を結晶させ実際的な「モデル」に表わすことです。こうしたモデル作りは容易ではありませが、かくすることによって企業の他の部門(第三者)にもその知識が生かされ有用なものとなります。

 □ 「知識創造企業」においては、「知識創造の任務」について、或る部門や専門家グループといった特定の者にのみ責任が与えられているわけではありません。だからといって、知識創造企業ではそれぞれの部門の役割や責任に差がないというわけではありませんが、新たな知識とはトップとミドル、そして現場の三者におけるダイナミックな相互作用の産物なのです(野中、前掲書参照)」。現場の従業員は日々、特定の技術や製品、または市場の細部に没頭しています。彼ら以上にビジネスの現実を熟知している者はいないのです。

 トップダウンとボトムアップ

 □ 会社の組織意思の決定方法についてトップダウンとボトムアップということが屡々論じられます。上述のように上位者は下位者に依存するという本質に従っても、基本的に組織内の情報や知識(組織的知識創造)がどのように流れるかによって、大まかに上位者から下位者に流れる方式とその逆の方式があります。

   野中郁次郎・竹内弘高"The Knowledge-Creating Company"(邦訳:梅本勝博「知識創造企業」東洋経済新報社、1996)を参考にしてこのことを説明しますが、トップダウンと言い、ボトムアップと言っても現実の組織にそれぞれの純粋型はあり得ません。組織の実態に合わせてトップダウンとボトムアップが混合した形をなしています。

  
1.トップダウン

 □ トップダウン・マネジメントは、基本的には古典的な階層組織モデルであり、知識創造を情報処理というパースペクティブの枠内で考えます。つまり既述したクローズド=合理化モデルにみられる考え方です。すなわち、選ばれた簡潔な情報が組織のピラミッドのトップにいる役員たちに具申され、それをもとに彼らが作った計画や命令が、階層組織の下方に「降ろされ」ます。言い換えれば、トップが基本的なコンセプトを創り、それを下位の組織成員が実行するという分業制によって情報が処理されるのです。

 □ トップのコンセプトは、ミドル・マネージャーたちがそれを実行するための手段を決める際の条件となり、ミドルの決めたことが、それを実行する第一線にある低職層従業員の業務の条件となります。このコンセプトに従って経営される会社の第一線のレベルで実行されるのは、ほとんどが通常業務です。

   トップは裁量の幅の狭いルーティン業務しか低職層従業員に移譲しないことが多いのです。それゆえ命令の受容度は極めて低いものとなります(逆に受命者に許される裁量の幅が広く、実務的情報選択が許され、活発化された情報の創出が期待できる場合は命令の受容度は高い)。

 □ トップダウン組織におけるトップとミドル、ミドルとロアーの二つの関係は、ピラミッドのような形で図式化するのが一般的ですが、従業員の人数の増加によってこの階層は背の高いものとなります。この伝統的な組織モデルの背後には、トップ・マネジャーだけが有能で知識を創ることを許されている、という暗黙の前提があります。

   このモデルにおいては、トップによって創られた知識は、ただ処理され実行されるためだけに存在します。そしてトップの創るいずれのコンセプトにも、たった一つの意味しかない、という前提に立っています。したがって、それらは、ある限られた実利的な目的のために創られるという意味で、機能的なコンセプトなのです。しかし、トップの創る機能的コンセプトを現場で実現するためにはトップが実現を指示したコンセプトを演繹的に情報交換する作業者が必要となります。このような従業員がいればこそトップの意思が現場において具体化されることになるのです(現場の仕事がまわってゆく)。

 □ このようにマネージャーだけが有能な知識を作ることが許されているいう考え方は、ヨーロッパに古くからある身分制度によると考えられなくもありません。貴族が考え、戦いは騎士と兵がそれを具体化します。下位の者は常に上位の者の手足です。こうした基本的な組織に関する思考方法はヨーロッパにおいて、厳しい階統性に裏付けられた官僚制度が発明される素地となり、官僚制は組織管理のための一つの神話となりました。やがてプロイセン帝国が参謀本部制度を発明し、軍隊組織のすぐれたモデルになりました。

   組織の階統モデルはもっと深いところでは全世界に広がるカトリック教会の組織モデルに支持されているのかもしれません。

2.ボトムアップ

 □ ボトムアップ組織は、従業員の規模が大きい場合でも背の低い形をしています。ヒエラルキーと分業制を廃止したボトムアップ組織においてはトップと第一線のあいだには、せいぜい3つか4つの階層しかありません。トップは命令や指示をほとんど出さず、企業家精神を持った第一線にある社員をサポートするにとどまります。知識は、一人で自立的に働くことを好む第一線社員によって創られます。彼らは、組織図上の上下左右にいるメンバーとはほとんど対話を持ちません。組織運営の原則は、相互作用ではなく、自律性なのです。相互に作用し合う個人の集合でなく、一人ひとりが知識を創るのです。

3.両モデルの弱点

 □ これら二つのモデルは、どちらも組織的知識創造のマネジメントには適していません。組織的知識創造の核となるプロセスは、グループ内部における意味ある直接的・継続的な対話を掘り起こし、言語以外の方法では伝えるのが難しい暗黙知を明らかにするものでなければなりません。

   既存の価値体系、ドグマ化した思考体系、考える余地もないとして定着した習慣的状態などの前提条件に疑問を持ち、どっぷりと漬かった安逸に反旗を翻す刺激を作り出すためには、組織の垣根を超えて作られる"チーム"の濃密な関係が必要です。ノイズ・ゆらぎ・カオス〔注3〕などの、組織の本流の脇に生ずる現象を補助線に使ってみることが有用であります。

   このような濃密な相互作用は、軍隊に似たトップダウン・モデルにおける階層組織、あるいはボトムアップ・モデルにおける、自律的に行動する個人のあいだではほとんど期待できません。さらに、ノイズ、ゆらぎ、カオスなどのコンセプトは、トップダウン・モデルでは基本的に不要として斥けられ、ボトムアップ・モデルでは個人の身体の中に封じ込められています。

 □ 知識がもっぱら個人の心の中で創られ、他人との相互作用を通じて増幅あるいは精練されないということは、もう一つ別の問題をひき起こします。トップダウン・モデルの場合には、数人のトップ・マネジャーの運命が企業の運命になってしまう危険性があるということです。ボトムアップ・モデルの場合には、個人の優位性と自律性のために、知識創造に大変な手間と時間がかかります。ここにおいて知識創造のペースは、特定の個人の忍耐と才能しだいなのです。

 □ これら二つのモデルに共通した大きな弱点は、本来組織情報のタテとヨコの流れが交差する点にいて、それらを創造的に組み上げることができる位置に立っているミドル・マネージャーに、その役割を正しく認識させていないことです。

 ミドル・アップダウン

 □ 我が国の企業には、知識創造のマネジメントに第3の方法、すなわちトップダウンでもボトムアップでもなく、「ミドル・アップダウン」とでも称すべき思想があります。この用語は簡単にいえば、知識は、チームやタスクフォースのリーダーを務めることの多いミドル・マネージャーによって、トップと第一線社員(すなわちボトム)を巻き込む混成チームによって作り出される、スパイラル(螺旋(らせん))変換プロセス(fig.1参照)を通じて創られるのです。

fig.1 スパイラル変換プロセスのイメージ

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野中、竹内(梅本訳)『知識創造企業』(前掲)106~107頁の挿図を改作

   ここにおいてはミドル・マネージャーたちは上から「降ろされた」情報を現場向けに解釈したり、ルーティンな業務に従事するだけの仕事に満足してはなりません。

 □ 既述したクローズド=合理化モデルにあっては、中間管理職はトップの意思決定を規則やマニュアルの形に書き換えて部下を管理・監督するのが任務と考えられて参りました。

   中間管理職はトップの意思を自分の理解できる範囲でしか下位者に伝達することができない存在であり、人によっては組織の階梯を更に上位に登ることに期待を寄せることができず、上位者からも下位者からも信頼されない吹き溜まりに置かれている・・・・・。まずはそんなイメージが強かったと思われます。しかしミドル・アップダウンの組織における管理職の役割は部下に業務目標を理解させ、その業務遂行に必要な情報と手段を与えて部下の要望に応えることになるのです。

 □ このプロセスは、ミドル・マネージャーを知識マネジメントの中心、すなわち社内情報のタテとヨコの流れが交差する場所にいわば会社のエンジンとして位置づけるのです。組織図のうえからこうした交差点にいるミドルマネージャーのやる気を起こさせることが極めて重要です。

   組織の中にあるゆらぎやざわめき(定量数値では割りきれない知的昂奮)といった企業知識の収斂に必要な現象は優れたミドル・マネージャーによって感知されます。またミドル・マネージャーはこのような現象を意識的に作り出し、企業知識を高めなければなりません。

 □ 下掲のfig.2はミンツバーグ(Mintsberg, 1973)によるもので、その構造は通常上級管理職から中間管理職を経て、一般従業員からなる現場作業集団にいたり、またそれを支える技術者、管理支援スタッフから成っているとされます。

fig.2 システムとしての会社

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〈出典〉Henry MIntsberg "Structuring of Organization"に収録された図を改作

   この図は、組織とは、一方でピラミッド型の階層を成しますが、他方では、横から支える支援組織もシステムを効果的に運用するために必要とされ、縦のラインに対して劣らぬ重要性を示しています。

   こうしてみるとトップが有する情報を処理するために組織が存在する(はじめにトップの情報ありき)という観点に別の観点を加えることができるでしょう。

 □ 我が国の一般型会社組織にあっては多くの場合情報の策源はミドルにあり、形式知に高められた情報は稟議という我国にユニークな方法を通じて組織の階梯を上ります(但し、上級人事についてだけはそうではないようです)。

 □ アメリカの多くの会社において情報の源泉は社長の周辺にあり、その能力を補うために選任したスタッフ(参謀)グループから情報を得て政策決定の原資とします。いずれにせよこうして社長は会社経営に必要な情報を得るわけですが、我国においては「ミドルからの情報を受け入れる」のであるのに対し、アメリカの多くの会社は「トップ周辺の情報をもとにして決心する」のである点に相違点がみられます。

 □ 我が国のミドル・アップダウン方式においてはミドルは自ら、もしくは第一線従業員を巻き込み、意味変換を行った情報をもとに組織長の立場で発意した意見を上位に挙げ、トップが了解することによって会社の意思として執行することができます。しかして、当該プランが失敗した場合には下部組織は「上がOKした」といい、上部組織は「下が既に実施しようとしていることを上げてきたのでOKするより仕方がなかった」として責任の所在を曖昧にしようとする無責任な動きがミドル・アップダウンの欠点としてあげられるかもしれません。しかしこのような無責任な行為がミドル・アップダウン方式の利点を帳消しにするものではありません。ミドル・アップダウン方式の利点は「上のOK」が出たときは既に下部組織に実施の心構えができているから素早く行動できる(命令の受容度が高い)点にあります。下位層は命令されたのではなく、自分がした提案が「上長によって許された」ものとして下位層が考える場合さえもあります。この場合は下位層はっているので、その提案が正鵠を射ているような場合はプランの成功の度合も高いのです。

 □ こうした日本的経営管理を受け容れるためには、少なくともミドルや現場に、マネージャーの思想を理解する教養と知恵が備わっていることが前提となっていなければなりません。我が国の教育程度の高さがこれを可能にします。平均的な日本人サラリーマンは仕事を終えた後も会社のことを話題にします。そしてその話題の知的レベルは決して低くはありません。最近は減ってきているとはいえ、夕頃、上司や同僚と酒を酌み交わす居酒屋が職場の延長と化す場合も少なくありません。こうしたことは日本人の労働観とも関係があります(もっともここ数年蔓延したコロナ禍によってこの風潮は失われ、スマートフォンによる交流にとって代わられつつあるようですが)。

 □ アメリカ型にみられるトップダウン方式には社長周辺に集中する情報が少量である場合は失敗しやすいのと、現場の意見を十分に反映しえない(あるいは無視する)ことがありうるという弊害があります。 また、トップの意思決定を実施に移す際、命令の演繹的な意味変換(意思解釈)が必要になるという欠点があります(この作業は命令が曖昧である場合には実に厄介な作業です)。そうした事情もあって、CEOの周辺に形成された側近グループは的確な情報を獲得するためだけでなく、トップが決心した意思を下部に伝達するための連絡調整を行う役割を果たすことも屡々です。いずれにしても、アメリカの公開会社におけるCEOとその側近(これらの者が会社で一番精力的に働く)は、と共に社内に圧倒的な力を持ちます。従って、CEO勢力に対する監督は容易ではないという現象もこのような事情から生ずるのです。

 経営者と一体になっているミドル(法的観点から)

 □ 取締役会において決定された意思決定(経営の方針・戦略)は包括的であったり抽象的であったりすることも多く、こうした場合にはそのままでは現場において実施することはできないので、決定された経営の方針・戦略は労働の現場に具体的な指示命令という形で伝達される必要があります。そのためには何びとかが戦略決定をブレークダウン(戦略の分析と解釈)しなければなりません。そこでいずれの会社も取締役会の意見を受けとめ、かつ、現場の状況を取締役会によりよく反映させるための、情報結節を成す機関を設けております。

 □ 従業員の身分を持った「執行役員」はこれに含まれるでしょうか、必ずしもこれに限りません。

   これらの従業員は労働基準法41条2号にいう「管理監督者」と認識される職層であり、これらの者は、経営者ではありませんが一般従業員とは異なる中間管理職であり、経営者と一体となって (場合によっては経営者にその意思を反映させるために経営に参加しつつ)会社の労務管理にあたります。

 □ 労働基準法37条は従業員に時間外・休日労働に対する手当の支給を規定しておりますが、この規定は、監督若しくは管理の地位にある者については適用されません。かかる規定は、管理監督者は、労働時間、休憩及び休日に関する規定の規制を超えて活動しなければならない企業経営上の必要が存在するという趣旨に基づくものであります。

 □ ここにいう管理監督者とは、「一般的には、部長、工場長等、労働条件の決定その他労務管理について経営者と一体的な立場にあるものの意であり、名称にとらわれず、実態に即して判断すべきものである。」(昭22.9.13発基第17号、昭63.3.14基発第150号・婦発第47号)とされております。こうして「管理監督者の範囲を決めるに当たっては、かかる資格及び職位の名称にとらわれることなく、職務内容、責任と権限、勤務態様に着目する必要があること」、「管理監督者であるかの判定に当たっては、上記のほか、賃金等の待遇面についても無視し得ないものであること。この場合、定期給与である基本給、役付手当等において、その地位にふさわしい待遇がなされているか否か、ボーナス等の一時金の支給率、その算定基礎賃金等についても役付者以外の一般労働者に比し優遇措置が講じられているか否か等について留意する必要がある」とされております(厚生労働省労働基準局編「労働基準法(改訂新版)上」600頁ないし602頁参照)。


注1 岸田民樹・田中政生共著『経営学説史』(有斐閣アルマ)有斐閣(2009.7)6~7頁参照

注2 「暗黙知」tacit knowingは哲学においても用いられ、マイケル・ポランニ(ハンガリー)によって唱えられた概念で、認知のプロセスあるいは言葉に表わせる知覚に対し、全体的・部分的に言葉に表せない、あるいは説明できない知覚を言う。

   deep smartとは、経験によってのみ獲得される知恵である。「ディープスマートの持主達は余人には識別しがたい特定の問題を発見でき、迅速かつ賢明な決断を下す」(ドロシー・レオナルド)とされる。

   このようにtacit knowingとdeep smartとは意味を異にするが、ここでは後者の意味する概念を暗黙知として記述した。野中の説による「暗黙知」の言葉もほぼ同様であろう。 

注3 ・"ノイズ"とは処理対象となる情報以外の不要な情報を言い、音以外の情報ないしデータについても、例えば判断に迷いを生じさせる他人の言動や社会的圧力、或いは経営判断上それが正しいと判っていても、その実施を妨げる、"同調圧力"等がこれにあたるであろう。

 ・"ゆらぎ"とは平衡状態からのズレ即ちある量の平均値の変動や広がりまたは強度を持つ量(エネルギー、電圧など)の空間的または時間的な平均値からの変動のこと。

 ・"カオス"理論においてはコンピュータに当初入力するデータ(初期値)をほんのわずか変えただけで結果が変わることが明らかになっている。つまりカオス理論においては未来予測をたてても予想通りに物事が進むことは難しいということが明らかになっている(このことは我々の意識と変わらない)。しかし人の持つ意識のエネルギーは意識の強い方向に流れるという法則があり、たとえば起業して成功したいと強い意識を持っている人は意識していない人より、成功するためのノウハウや情報を引き寄せることができる(意思気圧が高い)という風に仮説する。


~おことわり~
長いこと事務所の仕事を通じ、会社ないし諸団体(一般社団法人/財団法人/学校法人)の経営者や従業員の方々とのおつきあいが多い中で、組織というものについて、考える機会が屡々あります。そこで組織をめぐる諸問題について過去に書き貯めた雑記の一部に補筆整理してみました。

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