2024年11月13日
(丸の内中央法律事務所報No.45, 2024.8.1)
1 いま、一人の人が企業経営のいっさいの仕事を行なっている場合を想定するならば、ここには組織の問題は存在しない。仕事の一切合切が(権利義務を含めて)原始的に彼一人に帰属し、誰かに責任を負わせるということはありえない。
しかし企業経営の規模が拡大し、一人の力では仕事を遂行することが不可能となり、他人を雇い入れて企業の構成員として加え、仕事を手伝わせるようになったときに、これらの人々との活動の協働をいかにして確保するかが重要な問題となり、仕事(職務)が媒介的契機となって人々が結束することになる。
2 以下において架空のレストランチェーンを想定し、譬え話をすることから話を始めよう。
このレストランチェーン(仮称『Oh! カレーチェーン』ということにしよう)の抑々の出発はカレーライスを妻と共に商う小さな食堂であった。
カレー店を興した甲さんはあるホテルで修行したシェフであり、独立にあたっては、徹底的に顧客主導の販売戦略をとった。その特徴は、カレーの辛味度(等級)を超辛から甘辛まで5等級、ライスの分量を3段階、トッピングの種類を10種類に分けることによってメニューの多様化と制式化を図ることにあり、これによって成功の糸口をつかみ、売上げも徐々に増加するようになった。
3 当初食材仕入れから接客まで何もかも夫婦2人で行っていたが、特色あるメニューときめ細やかな接客戦略が当たり、徐々に顧客が増え、とうてい夫婦2人では仕事をまかないきれなくなり、甲さんはアシスタントを雇い、仕事の一部を任せるようになった。
1 まず最初のそれは食材の仕入れを賄い方(Aさん)に割り当てることから始まった。
当該従業員に何らの責任も負わせず、当該仕事の遂行に当たりなんらの権限も与えない場合は、甲さんから権限の委譲も与えられることはなく、この場合Aさんは仕入れに責任を負うこともない。例えばたんに食材として牛肉何kgを出入りの業者に注文することを命ぜられたAさんについて、責任とか権限の問題は生じない。
しかしAさんが食材の月別の仕入れについて、過不足のない仕入れ計画を立てる仕事を命ぜられ(割り当てられ)た場合には、Aさんには計画の立案という「責任事項」と、仕入れ遂行という「義務」が生ずる。責任事項とはなすべき仕事の内容を示しているが、義務とはその仕事を遂行しなければならないということを示している。両者はそのとりあげる側面が異なるのみで、内容的には同一である。
2 権限は責任事項を遂行する次元に登場する。即ち、責任事項を遂行するためには必要な権限(仕入れ業者の選択、食肉の種類、数量等々の決定権限)がAさんに与えられなければならない。つまり発注と仕入れ代金の支払いに関して権限が与えられなければならない。やがてこの関係は、それが組織内の義務と権限という形態において定着する。
ここに義務といい権限といい、これらは責任事項(職務)と離れたものではなく、むしろコインの両側面の如き関係にある。
事実、甲さんはAさんを見込んで、月々の食材の仕入れ計画と仕込みを任せ、「主任」という肩書きを与えた。甲さんは食材の仕入れについてAさんに責任を負わせ、発注について権限を与えた
3 『Oh!カレーチェーン』は徐々に発展し、やがて支店を出すようになり、従業員も増えた。
Aさんは甲さんと協議して、業務の一部をBさん、Cさんに分け与え(Aさんの担任業務をBさん、Cさんに分割した)、Aさんは「店長」という名の「管理職」となった。
そうするとB、Cさんは責任事項を遂行する義務を誰に負うかというと、その責任事項の委譲者に対して負う。委譲によって、被委譲者は委譲者に対して義務を負うという関係が生ずる。委譲者と被委譲者との関係は、後者の前者に対する義務という関係となってあらわれる。この被委譲者の委譲者に対する義務の関係は、被委譲者の直接の委譲者に対する関係である。
ということは、B、CさんはAさんに対して責任を負うのであって、甲さんに対するものではなくなったということになる。逆に言えば、このような関係が認められた場合に、権限の委譲が行われたと認められるのである。
以上は委譲者から被委譲者に対する信頼の授与と、これに対する被委譲者の応答の結びつきに支えられる(第4アカウンタビリティ参照)。
4 甲さんは、Aさんの例を手はじめに、店舗デザインの改善、マーケティング、経理等々の部門に次々と従業員を抜擢し、また外部から人を採用し夫々に仕事を割り当てた。
創業5年で「Oh!カレーチェーン」は法人成りし、株式会社となった。株主は甲さんと妻の2人である。従業員の組織化も進み、方々に分店を設けるようになり、Aさんのほか何人かのスタッフが店長となった。従業員の間に権限の再委譲、再々委譲が行われ、組織図は徐々にピラミッド形の姿を現わしつつある。
社長室の壁には組織図が貼られ、縦方向(vertical)にはライン組織(地域別支店網など)、横方向(水平方向)(horizontal)にはスタッフ組織(給与計算や業務管理など)が、夫々所を得て書き込まれている。
毎月1回行われる店長会議には各店から店長が集まり、月次報告という形で業務内容が報告され、発表されるグラフの数値競べが行われる。これらの数字の全社的とりまとめは、もとは経理を担当していたDさんが経理部門をとりしきっている。
1 権限を委譲する上位者は委譲にあたって、彼が有している権限を下位者に与える。但しこの場合、上位者から下位者に委譲された権利は侵すべからざるものとして譲与されたものではないということに留意しなければならない。
委譲によって下位者は委譲された権限を自己の裁量にもとづいて行使することができるけれども、それは上位者からの影響からまったく自由になることを意味しない。
上位者は、委譲した仕事の出来栄えを評価し、発生するかもしれないミスを防止し、見逃されかかったビジネスチャンスを補足するための助言などのサポートを行う等、ビジネス遂行上の権限(以下監督権限という)を留保する。下位者の人事考課に関する事項についても権限を下位者に委譲することはあり得ない。
2 次項にアカウンタビリティについて述べる通り、アカウンタビリティは下位者が上位者に対して負う義務であるが、上位者が権限の委譲にあたって留保した上記の如き監督権限と対をなすものである。
3 上述の通り、上位者はその持てる権限の100%を下位者に委譲することはあり得ない。けだし、そうすることはその職位者が権限を失うと共に、その職位の消滅を意味するからである(もっともメクラ判を押すだけの作業者に堕する管理職は時折みられるが)。
1 既述の通り責任事項の委譲に伴って付与された一定の権限は、なんらかの意思決定の権限を伴う(もし、そうでなければ権限の委譲が行われたとはいえず、たんなるメッセンジャーにとどまる)。この意思決定は上位者からの命令によって職務を遂行するのではなく、被委譲者が自己の判断において決定し行動することのできる権限を意味する。かかる決定権限が付与されると、権限の委譲を受けた当事者(当該職位の担当者) は、職務遂行の結果に関して責任を負わなければならない。かかる意味の責任は、結果に対する責任である。それはアカウンタビリティ(accountability)の言葉をもって示される。
すなわち、アカウンタビリティとは、指示された基準に従って責任事項を遂行し、権限を行使する義務である。ここでは、責任事項のみならず、それと表裏一体をなして決定の権限が付与されていなければならない。
2 ところでアカウンタビリティを結果に対する説明義務と規定する場合がある。すなわち、責任事項と決定権限を委譲された個人は、同時にそれに対応する説明義務を負う。被委譲者は自己の職務遂行上の成否、自己の責任事項と決定権限をどのように行使したかを上長(委譲者)に対して答申ないし復命することを要求されるのである。この説明義務は、結果に対する責任が被委譲者にあるということが表現されたものである。
それゆえアカウンタビリティとは、「説明義務」と訳され、単に「説明すれば事足りる」が如く安易に解釈されているが、「責任」に関する理解が抜け落ちている憾があるので本来の意味を表すためには「復命責任」というのが適切であろうか。
3 既述の通り権限の委譲者(上長)は、被委譲者に対し、「監督権限」を自己に留保して委譲を行う。アカウンタビリティは上長が留保する監督権限を被委譲者の側からみたもので、両者は対をなすものとして理解されうるものである。
1 上記のような説明は、『Oh! カレーチェーン』という組織が生成発展してきた過程において権限が委譲される様子を描出するには適切であろう。ここにおいては権限は上から下へと信頼の授与を伴って伝来的に委譲されるものであった。
2 しかして発展した組織を完成型として観察するとき、もしくはいきなり大規模な事業を興そうとするときの組織形成を観察するときは、上記の説明には違和感を覚えざるを得ないであろう。
ここにおいては個々の従業員に対し、夫々の直接の上位者から仕事が与えられ、委譲されるのではない。、責任事項は理念的に経営全体の観点から職能の配分として観念される。
それは権限が委譲者によって個人的に委譲されるのではなく、経営における業務(ビジネス)の全体系から、合理的に導き出されたものと位置付けられるのである。そこには個人的な(面と向かって行われた)責任事項の割り当てや権限の委譲があるのではなく、業務(職務)の全体系が予め配列されたものとなっている。
ここにおいては、業務自体と、標準的人間の能力に関する分析にもとづく業務の配分が存在する。かくして組織は職能の体系にもとづく理念的な責任事項の体系として理解される。
3 大規模組織にあっては業務自体と、標準的な人間の能力の分析にもとづく業務の分配が就業規則や組織図に表明され、職能の体系が予め形成される。
かくして責任事項は個々に委譲されるものではないが、「業務の分配(仕事の委譲)が行われたとすれば斯くの如くであった」という擬制のうえに立ち、経営学の常識や科学的知見(社会科学、人文科学、組織学等)に従って就業規則や組織図を匿名で定めて、職務の全体像を描出しているのである。
4 ここにおいて組織の成員である個々人は、夫々の上長から面と向かって職務の割当を受けるのではなく、予め配分された職務の一定の地位に赴任・着任することによって当該職務を引き受けるのである。上司も同時期に一緒に他から赴任着任することも屡々みられる。
権限の分配は上長から下位者へのパーソナルな信頼の連鎖によって裏付けられるのではなく、権限の委譲を受ける下位者による組織への忠誠によって支えられる。
1 企業の仕組を権限委譲に因って生ずる体系として考える考え方は組織の構成要素を権限を全体の中のピース(piece)として捉える。そこで組織の構成要素を結束するツールが必要となる。
即ち、会社は雇用した従業員を上述のように組織に割当て(こうして労働者は従業員の身分となる)、当該部署もしくは各級の管理者に職務権限を分配もしくは分掌せしめるために職務権限規定(「職制規程」「業務分掌規定」など名称は様々である)に表現することが行われる。職務規程や業務分掌規定の制定は「取締役の職務の執行が効率的に行われることを確保する」ために必要な体制(会社法施行規則§100Ⅰ③)として有用であるとされ、多くの会社がその整備に努めている。
2 常時10人以上の労働者を使用する使用者は就業規則を作成し、行政官庁に届けなければならない。これを変更した場合も同様である(労基法§89)。ここにいう行政官庁は労働基準監督署である。
労基法93条は、「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とし、この場合において無効となった部分は、就業規則で定める基準による」と定めて
いるので就業規則は強行的直律的な効力を有する*1。
3 労働契約によって生ずる労働者の労働義務の遂行について使用者(取締役もしくは職務権限を分割して与えられた各級の職制)が有する指揮命令の権限を労働指揮権といい、これに基づき業務命令が日々の就業についての上司の指示・命令、休日労働命令、出張命令、配転命令、出向命令などの形で下命される。命令の源泉は各級の職制による個別の命令の形を取る場合もあり、就業規則に包括的に規定されて存在することもある。
これらの命令違反は労働契約の範囲内の有効なものであり、労働者がその命令に服しないことにつきやむを得ないものとはいえない場合には、命令違反は懲戒の対象となる。
1 権威を正当化するもの
このように取締役→幹部従業員→一般従業員へと、職務分掌に沿って委譲され枝分かれする連鎖を結索するのは命令である。
なにゆえに人が人に対し命令を発することが正当化され、人はなにゆえに命令に服従するのかという問に対する答えは、人はなにゆえに約束を守るのか、という問に対する答えと同様に難問中の難問である。これは法哲学における「規範とは何か」について考えるのと似ている。
しかし、哲学に立ち入ることなく、権威と服従が正当化される状況に関する一つの説明がマックス・ウェーバーによってなされていることは周知の通りである。ウェーバーは権威が正当化される要因として①カリスマ的②伝統的③合理的(依法的)の3つの様式を挙げている。*2
2 たしかにある者が権限(ないし権力)を保持することを他の人びとが認める契機にはいろいろなものがある。上に述べたように或る場合には伝統(過去からずっと存在してきたもの)によることもあり、またカリスマへの傾倒(啓示や理想といったものに対する感情移入)の場合もあろう。しかし企業内における取締役の権限はこれらの要素にもう一つ合意の要素が加えられる。けだし取締役は会社から経営の委任を受けて経営に従事し、従業員はそのような者によって経営される会社と労働契約を締結することによって会社に服従することを承認して入社するからである。
3 命令の解釈と創造的契機
4 他人にこちらの希望することをして欲しいのであれば、その相手に懇請したり、説得したり、命令したり、さまざまな圧力をかけて強制するというような直接的アプローチは効果が高い。
相手方が学習能力を働かせている正常な関係にあれば、その学習の結果に期待し、相手が自分でやりたくなるように仕向けることが有用である。例えばリデルハートが「戦略論」の序文で書いているように、部下に仕事をさせるための最善の方法はそれを自分で思いつかせることである。
*1 就業規則の法的性質をどのように解するかについてはこれが労働者と使用者との間の契約にもとづくと解する説(契約説)や、労基法93条が就業規則について強行的直律的な効力を認めていることを根拠にして、就業規則はそれ自体が法律的に使用者と労働者を拘束すると考える説(法規範説)など多彩な議論がある。
*2 マックス・ウェーバーと官僚組織理論
そもそも個人がなぜ命令に従うのか。マックス・ウェーバーは権力―人々の抵抗を押し切って服従を強いる能力―のほかに、権威―命令を受けるものたちによって自発的に服従が行われる場合―の存在を認めている。
ウェーバーは権威が正当化される純粋型様式を①カリスマ的②伝統的③合理的(依法的)の3つに分類している。①の様式は指導者の個人的資質に基礎が置かれる。この場合権威の基礎が一個人の特徴にあり、命令はその人物のひらめきに基づいて発出されるために、その組織には不安定要素が組み込まれている。この種の組織においては指導者が死亡すると必ず継承問題が起きる。カリスマ的組織にあってはもうひとりのカリスマ的指導者が待機していることはまずない。そこでこの組織が分裂したときは残りの2つの類型のいずれかになる。
②の、「伝統」による命令と権威の基礎は先例と慣習―これまで踏襲されてきたことを神聖とみなす行動様式―である。このパターンにあっては経営者の地位は父親から息子に譲り渡され、会社は世襲的継承による「王朝」となる。③の類型には官僚組織が伴う。この組織はある特定の目的を達成するためによく設計された機械の如く遂行すべき特定の機能を与えられている。今では官僚制というと繁文縟礼と同義のものとして擬せられているが、マックス・ウェーバーは、官僚制こそが技術的に考えうる最も能率的な組織形態であると述べている。
(デリック・S・ビュー外「現代組織学説の偉人たち」(訳:北野利信)有斐閣、2003、P314以下)
<参考文献>
・高宮晋『経営組織論』(ダイヤモンド社、1971)
・デリック・S.ピュー、デービッド・J・ヒクソン(北野利信訳)『現代組織学説の偉人たち―組織パラダイムの生成と発展の軌跡』(有斐閣、2003)
・桑田耕太郎、田尾雅夫『組織論〔補訂版〕』(有斐閣、2010)
・岸田民樹、田中政光『経営学説史』(有斐閣、2009)