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弁護士コラム・論文・エッセイ

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弁護士 堤 淳一

2025年12月19日

「避戦」を考える

 (塚本企業法実務研究会機関誌「BAAB」No.65, 2023.4.1所収「戦争について考える」改題)         

 安保3文書の閣議決定

 □ 令和4(2022)年12月23日、かねて予定されていた安保3文書(国家安全保障戦略、防衛大綱、中期防衛整備計画)が閣議決定され、防衛大綱は国家防衛戦略と、中期防衛整備計画は防衛力整備計画と改称されました。 そして一般会計の歳出合計が114兆3812億円となる2023年度当初予算案(うち防衛関係費は6兆7880億円とされており、過去最高額となる)を閣議決定しました。
 改定された安保3文書は我が国周辺国等の軍事動向として注目すべき国及び地域として中国、ロシア、北朝鮮を挙げ、これら諸勢力の及ぼす脅威に対応できるかが今後の大きな課題となっている、としております。
 今次の安保3文書の改定は、防衛政策のこれまでにない大変革であり、我が国が採用してきた専守防衛という受け身の政策に変更を迫るものであり、極めて重大な出来事でありますが、閣議決定の前に行われた世論調査の結果(令和4年12月17日朝日新聞報道による)にみる限りでは、全体として56%が敵基地攻撃能力の保有に賛成しているようであります。

 □ この出来事を機として戦争について思いつくままに考えを述べてみたいと思います。

 「抑止力」について

 □ 国家防衛戦略(以下『防衛戦略』という)は、我が国周辺における脅威が存在していることを前提として要旨次のように述べております。
「我が国への侵攻侵略を抑止する上で鍵となるのはスタンド・オフ防衛能力等を活用した反撃能力である。近年我が国周辺では(略)質・量ともにミサイル戦力が著しく増強され、ミサイル攻撃が現実の脅威となっている(略)。
 しかしながら、弾道ミサイル防衛という手段だけに依拠し続けた場合、今後、この脅威に対し、既存のミサイル防衛網だけで完全に対応することは難しくなりつつある。
 このため、相手からミサイルによる攻撃がなされた場合、ミサイル防衛網により、飛来するミサイルを防ぎつつ、相手からの更なる武力攻撃を防ぐために、我が国から有効な反撃を相手に加える能力、すなわち反撃能力を保有する必要がある。
 この反撃能力とは、我が国に対する武力攻撃が発生し、その手段として弾道ミサイル等による攻撃が行われた場合、武力行使の三要件に基づき、そのような攻撃を防ぐのにやむを得ない必要最低限度の自衛の措置として、相手の領域において、我が国が有効な反撃を加えることを可能とする、スタンド・オフ防衛能力等を活用した自衛隊の能力をいう。
 こうした有効な反撃を加える能力を持つことにより、武力攻撃そのものを抑止する。その上で、万一、相手からミサイルが発射される際にも、ミサイル防衛網により飛来するミサイルを防ぎつつ、反撃能力により相手からの更なる武力攻撃を防ぎ、国民の命と平和な暮らしを守っていく。」

 □ 『防衛戦略』は、敵基地攻撃能力を保有することが、相手方(X国)の攻撃に対し抑止力として働くと言っているのですが本当でしょうか。抑止力とは、相手国(X国)がもし軍事力行使に踏み切れば、逆に攻撃されて耐えがたいような損害を被るということを、予め明白に認識させておくことによって侵略を思いとどまらせることを言う、とするのが一般です(懲罰的抑止)。『防衛戦略』は「既存のミサイル防衛で完全に対応することは難しくなりつつある」と述べており、「拒否的抑止」注1の貫徹は無理だとしているようであります。

 □ 抑止力は相手方(X国)をして、我が国への侵略を思いとどまらせる能力でありますから、抑止力が働くかどうかは相手方(X国)の意思に依存します。例えば、我が国が相手国の基地を攻撃するミサイル部隊10個連隊を用意し、そのことを相手方に宣明すれば相手国(X国)は我が国への侵略を思いとどまるであろうと、我が国が思っても、X国の首脳部は「そんなものは数のうちに入らない」とばかり侵略を思いとどまらないかもしれないし、X国の政権基盤が揺らいでいて、我が国による10個連隊どころ5個連隊の配備でも「ヤレ大変」とばかり我が国からの反撃能力を脅威として感じ、攻撃を思いとどまるかもしれません。

 □ そのようなわけで抑止力とは我が国にとって有効に作用するかどうかが相手方(X国)の意思(心理)によって左右される類いのもので、我が国が敵基地を攻撃する能力を持っていると主張してもそれが戦争を抑止する戦略的な力として有効に働くかどうかは不可知であります。

 □ そうすると、もし相手方(X国)が基地の一ツや二ツを潰されることを意に介さず(例えば中国のミサイル発射基地増強の動きに鑑みるとその可能性は十分にあります注2)、引続き我が国を攻撃する意図を持ち続ける場合には抑止力は働かないと考えるべきでしょう。
 つまりX国が、自国の基地に対し我が国からの攻撃を受けたとしても、その損害をカスリ傷程度のものとしてしか認識せず、「耐え難いような(壊滅的な)損害を受けるものではない」と認識しているうちは抑止力は働かないのです。
 そこで我が国は抑止力が働くように攻撃能力を徐々に強化し、X国はこれを無効にしようとして防御力を強化し、かくして互いの敵基地の攻防をめぐる装備競争はキリがなくなってしまいます。

 □ その意味で政府の言う「敵基地攻撃能力」はそれだけでは日常用語における「抑止」という言葉以上の力を持たず、防衛戦略としての抑止力は、軍事・非軍事を含むいろいろな手段(我が同盟国による軍事的支援や、相手方(X国)が戦争を始めることに対する経済制裁の予告、逆にX国が戦争を企図するに至った理由・原因に対する理解を示し攻撃意欲を減殺する、我が国と戦争をすることにより得るところはないという説得等)と組み合わせて総合的に期待されるべきものであります。

 □ それはひとまずおくとして、『防衛戦略』は、相手方からミサイルが発射された際にも、ミサイルや航空機を以って反撃する、等としていますが、これらの反撃を有効に行いうるでしょうか。
 近時における戦争技術の発達に伴い、ミサイル基地そのものの秘匿性が高まるなど、相手方(X国)の固定されたミサイル基地からの発射を前提にした我がミサイルによる反撃能力を論じたのでは話にならないという段階に至っていることも忘れてはならないと思います。例えばSLBM(潜水艦から発射されるミサイル)は、秘匿性が極めて高く(どこにいるか判らない)これをミサイルや航空機を以って攻撃すると言ってもみても殆ど命中しないでしょうから、SLBMに対する反撃は潜水艦隊の増強に待つほかないでしょう。またミサイルを抱えた航空機はそれ自体が「ミサイル基地」でありますが、その捕捉は極めて困難です。
 またミサイル基地の幾つかを鉄道や地下トンネルで繋ぎ、往き来できるようにするなどし、固定基地の脆弱性を低下させるなど、様々な手段で抗堪力を高める工夫がなされていると聞きます。
 そうした要素は我が国の「敵基地攻撃能力」を相対的に低下させてゆくでありましょう。


 注1 拒否的抑止:相手の攻撃を物理的に抑止するに足る十分な軍事的能力を持つこと。例えばの話ですが、敵方のミサイルを百発百中打ち落とす能力を備えることができれば拒否的抑止の能力を獲得したといえますが、それは無理でしょう。
 注2 中国のミサイル発射基地は、No.50台のシリーズ番号がついた6箇所、その他数箇所が確認されているようです。未確認のものとして新疆の砂漠地帯に110箇所のミサイル発射基地も建設中かと米シンクタンクが発表しているといいます。

 戦争の勃発

 □ こうして相手方(X国)との間に対立が強まるにつれ抑止力は徐々に弱まり、戦争の勃発によって消退するに至ります。
 戦争は宗教的相剋、政治的対立、歴史観の対立、人種差別、外国との経済隔差の打開、国内における矛盾対立の解決、領土ないし地域の覇権の争奪などにより始まりますがその原因は様々です(戦争を始めるには理屈はいらない)。
 また相手側に対する憎悪が生じてしまうとこれが反転して、相手側からの侵略に対する恐怖へと転化してこれがどんどん増幅してゆく傾向にありますから、相手方に対する決定的不信や恐怖も戦争の契機として挙げられるでありましょう。

 □ 従来、戦争は国家の戦争機構(参謀組織等の戦力の組織化のための組織を含む)によって「真(しん)面(めん)目(ぼく)な規模をもって」攻撃がなされ、かつ敵兵や敵機が国境を越えることによって始まると説明されておりましたが注3、近時では敵基地や都市に対するミサイルや航空機による攻撃が行われることによって、または外国に駐留する自国の軍隊が攻撃される場合や、条約により参戦が義務づけられている場合等の要因によっても始まるでありましょう。

 □ ただし、そうはいっても、戦争とは、実際には被侵略者が防御を決意したときに初めて始まるのであって、侵略を座視・受忍すれば戦争は生じません。2022年以来継続しているウクライナを例にとってみると、ロシアの侵略を受けてゼレンスキー大統領の政権が国外に亡命し、しかもロシアに抵抗する新政権がウクライナに生まれなかったとすれば、ロシア自ら、もしくは傀儡政権がウクライナを実効支配することによって、現在継続している戦争はとっくに終熄したでありましょう。


 注3 別宮暖朗「軍事学入門」(筑摩書房、2007)P20
 最初の一発

 □ 敵基地攻撃能力を保有することを前提にして、どのような場合にその能力を実効化し、現実のものとすることができるのかの論点については、主として、いつミサイルの第1発を発射することができるのかをめぐって議論されております。
 国連憲章第51条は次のように規定しております。
「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合、安全保障理事会が国際平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間は、現行の国連憲章のいかなる規定も、個別的又は集団的自衛の固有の権利を損なうことはない。」
 戦争が始まってミサイルが何発もひっきりなしに相手国(X国)基地から発射されているに至った場合は、「武力攻撃が発生した場合」に当たることは明らかでありましょうが、「武力攻撃が切迫している状況における先制的自衛」の合法性/違法性についてはデリケートです。

 □ 専守防衛の立場をとっている我が国がとりうる敵基地攻撃能力とは、「日本の主権侵害を発生させるに至る危険性を含む行為を相手国(X国)が開始したことに対応し、X国内の基地を我が国が攻撃すること」と解するべきでありましょうか。
 しかしこれでは厳密でないとして、これに相手国の「侵害意思の明確性」や、「侵害時期の特定」等についての詳細な要件を加えるべきであるなど、国際法の立場からはいろいろ問題がありそうです。
 しかし我が国が敵基地に1発でもミサイルを打ち込んだとき、それが専守防衛的ないし正当防衛的な攻撃であると主張しようとしまいと、相手国(X国)は自国の主権が侵された(「日本による先制攻撃である」)として戦争に踏み切ることはありうると考えておいた方が真っ当でありましょう。

 □ 例えば北朝鮮がミサイルらしき飛翔体を日本の周辺に打ち込んでいる現況を、我が国の世論の趨勢は、我が国に対する軍事的挑発であると受け取っておりますが、北朝鮮側は、北朝鮮の不審飛翔体の発射は、日、米、韓3箇国による絶えざる軍事的脅威に対する予防であり、さればこそミサイル開発に勤(いそ)しむことによって自国に対する戦争を抑止しているのだ、と主張するでしょう。
 その意味からすると我が国からする敵基地攻撃の実施は、戦争の勃発を覚悟してしなければならないと思うのです。
 つまり北朝鮮側も我が国と同じように「敵(日本)の基地に対する攻撃能力」を保有しているわけですから、我が国が北朝鮮の基地に対する攻撃の兆候を示すや直ちに「正当防衛」であるとして我が国に対して攻撃を行う可能性があるであろう、ということであります。

 □ そうすると北朝鮮が非脆弱なミサイル基地を持っているのと同様にして、我がミサイル基地も抗堪性の高いものであること(例えば地下化、航空機からの発射、もしくはSLBM化)が求められることをも意味します。

 □ ところで誤解があるといけませんので述べておきますが、我が国がミサイルを装備してもX国の攻撃を抑止することはさほど期待できないということと、後述するように、戦争が勃発したときに(国連憲章に言う「武力攻撃」が発生した場合に)我が国が敵基地を攻撃しうる能力を備えておかなければならないこととは別問題であり、攻撃を受けた場合に備えて我が国はその能力を保持しうべきものであります。

 戦争研究の遅れ

 □ およそ我が国では戦争に対する研究は70年間、等閑にされてきました。戦争に関する研究は「平和研究」というコインの反対側にあるものとしてのみ研究され、ここにおいては戦争は国際政治学かその他の人文科学の一部として取り扱われ、戦争が持つ本質や戦争技術の研究は、自衛戦争に関しても退けられてきました。

 □ 国際政治学は、戦争と平和の問題を探求する学問分野であり、そこでは、戦争の抑止に関する個別研究もしくは国際的機構(国際連盟・国際連合)を通じてする戦争の予防策や、戦争の原因究明分析が盛んになされてきました。つまり、戦争はなぜ起きるのか、そして、どうすれば防げるのか。私たちはそうした議論を積み重ねてきました。
 しかし、「戦争はいかに終わるのか」についての研究、つまり「戦争終結論」ないし「出口戦略研究」は量的にも少なく、まだまだ緒についたばかりの研究領域です。その原因は、これまた東西冷戦期の日本では、軍事研究が日の目を見ない状況にあったからであると見て間違いないでしょう。戦争をどう終わらせるかを考えることは『戦争を容認すること』だと誤解されかねなかったのです。注4 しかし「それだけでよいだろうか」として、「戦争はどう終わるのか」についても深く考えるべきだとする研究があり、私などかかる所説に啓発されます。注5

 戦時をどう凌ぐか

 □ しかし「戦争中をどう凌ぐか」の視点からの考察は今も全くと言ってよいほど研究されておりません。
 即ち国際政治学が戦争の開始(勃発)について考え、千々石氏が戦争終結について考え、いわば頭と尻尾についての議論が行われ、また行われ始めておりますが、「有事」ないし「戦時中」に生起する現象については研究が欠けており、これから真剣に議論をしなければならない課題だと思います。

 □ 戦争中をどう凌ぐかの議論が学問的に十分なされていないからといって、国民の安全を守るため政府(national government)及び地方自治体(local government)が「戦争中」の対策について真剣に考えていないとすれば、「考えていなかった」では済まない行政の怠慢であります。

 □ 憲法解釈上、我が国は外征をしてはならないので、今後の戦争は日本領土内を戦場として想定され、この場合における戦争は当然国民と一緒になって行うことになります。従って、戦争というと軍隊だけが行うものとして他所事、他人事のように簡単に片づけるのは誤りです。
 我が国が過去において行ってきた戦争はその殆どが日本領土外で戦われましたが、専守防衛の思想の下においては、戦争が起きればそれは必ず国民を捲き込んで、究極的には我が本土で戦われます。

 □ 我が国は昭和20年から昭和27年まで外国軍隊(国連軍という名の米国軍隊)の支配下にありました。しかしこの場合は戦争が終わってからの話であり、それは誇張すれば平和作りのための軍隊であり、占領軍との間に軍事的な争いはありませんでした。しかし今後において対峙するのははっきりと「敵対する軍隊」であります。旧日本軍が中国大陸に進入して行なった戦争において、中国の一般の人々と混在したことによってもたらした惨状を、此度は我が身のこととして考えてみなければならないということであります。
 以下において我が国に生ずる戦争について少し立ち入って考察したいと思いますが、ここでは戦争勃発の原因、仮想敵、時期については抽象しており、ともかく「X国との間に何らかの原因で抜き差しならぬ緊張関係が生じて、戦争しか解決の手段がないと一方もしくは双方が考えたとき」、とのみ想定します。


 注4 井沢元彦氏(作家)は「言霊ことだま」ということについて述べています。言霊とは日本人の持つ原始的体質で、「雨よ降れ」と言うと本当に雨を呼ぶことができると思い込む精神世界のことで、「戦争」と叫ぶと、それが研究の呼びかけであれ何であれ、本当に「戦争」が起こる、という思考方法のことを言います(詳しくは同氏の著作「言霊の国解体新書」など参照)。
 注5 千々石泰明(防衛省防衛研究所教官)『戦争はいかに終結したか―二度の大戦からベトナム、イラクまで』(中央公論新社、2021)

 準戦時

 □ 我が国が正面装備の充実をはかり、抑止力を高めようとし、また和平に向けてあらゆる外交努力を尽くしても遂に抑止力が失われたとします。

  しかしてこの場合我が国とアメリカとの関係が安定していれば、相手国(X国)が我が国にいきなり直接かつ大規模な軍事行動を仕掛けることは考えにくいと思われます。それはもし一挙に大規模な軍事進攻を行うと、米国をはじめ、韓国その他我が国の同盟国の介入を招き、相手国(X国)にとっても抜き差しならぬ事態へと拡大するおそれがあるからです。

 □ そこで我が領空、領海への侵犯を窺う威力偵察ないし威嚇行動、本土に対する、戦争に隣接する行動(ゲリラ勢力(非正規の軍隊)による大規模なテロ、及び小火器を用いたインフラへのテロ活動等を含む)も予想されるところとなります。

 □ このような、「武力攻撃」に該るかどうかが曖昧で、はっきり戦争といえない「準戦時」と言うべき段階から、テロ対策その他治安維持対策に関連して、警察庁及び都道府県警察と自衛隊ができる限りの協力体制を作ることが必要となります。
 例をあげますと、昨今重要なインフラ(例えば原子力発電所)の安全確保に備えて自衛隊の出動が論議されております。
 又我が国民は平和に馴れ、戦争という事態に対する十分な免疫力を持っておりませんから、相手国による破壊工作その他によってパニックを起こし、避難が必要とされても自主的に有効に対処することは期待できません。そのような場合に自衛隊による避難誘導をはじめとする準戦時対処が必要かつ有益であると思われます。但し、自衛隊は防衛出動(自衛隊法76条)が下令された後は作戦行動に専念することになりますので、以後における住民の避難行動等に対する保護は地方自治体が担任すべきことになります。そのために必要な権限が地方自治体の首長に与えられる必要があります。

 □ テロ工作員や準戦闘員の、海からの浸透に対し、海上保安能力の強化、海上保安庁と自衛隊との協力(指揮系統を整頓しなければなりませんが)について検討を深める必要があります。

 戦争の本格化と長期化

 □ 更に準戦争が拡大し本格的戦争に立ち至ったと仮定するとどうなるか。以下に想定してみましょう。
 既述したようにX国が我が国の国境を越えて侵入を開始しても、政府及び国民が抵抗を示さず白旗を揚げれば戦争は始まらないわけですが、我が国が置かれた国際的状況に照らし、それはないと思われます。

 □ 戦闘においてはミサイル、航空機(無人飛翔体を含む)による激しい空襲が状況として想定され、さきの戦争において私を含む高齢者世代が被災したB29による空襲とは大分異なるでしょうが、まずは空からの攻撃となりましょう。

 □ 政府が想定している「敵基地攻撃能力の備え」を超越して行われる攻撃に対しては「ミサイル防衛網により飛来するミサイルを防ぎつつ国民の安全を守る」と述べるにとどまって、何やらミサイルの応酬によって戦争にカタがつくように考えているように映るのですが、そうはいかないと思います。
 譬え話ですが、古来戦争は敵国の首都を歩兵部隊が確保・占領し、旗を立てることによって終わるのを例としています。
 それゆえ早期に講和が成立せず、相手国(X国)があくまで本格的に戦争を貫徹しようと企図した場合を想定すると、我が国の「どこかに」歩兵・機甲及び砲兵(短ミサイルを含む)・空挺等の部隊が様子を見ながら必ず揚がってきます。

 □ 我が国はドイツ、ソ連、フランス、イタリア中国等と異なり、四面を海に囲まれていて、その分だけ本土への着上陸はむずかしいと一応言えます。そこで、海・空自衛隊による阻止行動の効果を期待したいところではありますが、沿岸線の長さは35,500kmもあり完全に守り切ることは難しくいずれ克服されてしまう問題です。

 □ ところで我が国は満州事変(昭和6年)、支那事変(昭和12年)を経て大東亜戦争(アジア太平洋戦争(1941年))へと続く戦争を殆ど国外(外地及び南洋)における戦争に明け暮れたため、日本本土を戦場とする戦争のやり方について、昭和21年以降米軍が実施しようと構想していた「本土上陸」が差し迫るまで本格的に研究をしてきませんでした。
 しかし本文に述べたように、今次我が国の防衛政策は当方からのミサイル1発でも戦争が始まることを覚悟したのですから「本土決戦」(本土戦は地上戦に他なりません)を予測して政策を考えなければならないことは当然であり、それに対する備えを怠ることは許されません。

 □ 地上戦は今ではミサイルや航空機、ドローン兵器による空襲を伴いますので対空兵器(高射砲及び対空ミサイルを含む)の充実は欠かせないのですが、今次の安保3文書においては「本土決戦」の本質的要素である「地上戦」に関する検討は十分になされておらず、先送りされているのは残念です。

 □ 政府は今後5年くらいのスパンで射程1000キロ、10年後までに3000キロとする長射程ミサイルを配備する計画にとりかかるとしているようですが(新聞報道による)、そのような大型ミサイルは、我が「内懐に飛び込む」ようにして浸透して来る相手方(X国)の陸上部隊等に対しては、へたをすると我が部隊や我が国民を巻き添えにするおそれなしとしません。それゆえ長距離ミサイルは相変わらず敵基地に向けに用いるのでしょう。それはそれで必要とされるでしょうから有効性を期待したいところです。

 □ しかしそれとは別に本土防衛にあたっては大型ミサイルよりももっと小まわりの利く大砲(短ミサイル)・戦車・装甲戦闘車両、装甲兵員輸送車両、攻撃ヘリ等を多数備え、ハリネズミ化した防備を考えることも必要ではありませんか。

 □ そうすると、本土防衛戦の主力となる地上部隊(陸上自衛隊)の充実が必要と考えられるのですが、昨今における普通科(歩兵)師団、旅団の編制は全体として縮少傾向にあるようで、私としては寒心に堪えないところです。

 山ほど生ずる懸念

 □ 戦争の開始に伴い、直ちにアメリカに対し参戦、来援を求め、我が国の同盟国に対し条約が許す範囲で軍事・非軍事両面で協力を要請、実効化を求めるほか、戦いの収束に向けて国連を通じてする外交交渉が傾けられることになりましょう。しかしいったん始まった戦争をやめることは必ずしも簡単には行かないでしょう。

 □ 戦争が長期化するに従って次のような懸念及び対処すべき課題が次々に発生します(ただし以下の想定は、主なものを挙げたにとどまり、生起する時期や重要度の順序に配慮しておらず、カテゴリー別でもなく、多分にランダムです)。
・戦争の大義の確立
・国民の士気の涵養と維持
・自衛隊、海上保安庁、警察、その他関係諸機関等の士気の涵養と維持
・兵員(自衛官、予備自衛官、即応自衛官)の損耗とその補充
・武器弾薬及び石油の備蓄
・電力(原子力発電所を含む)、ガス、上下水道等のインフラの確保
・国、地方自治体及び国民の空襲対策(シェルター、掩体壕の構築及び住宅の地下化及び耐久構造化を含む)
・消防・消火態勢の充実
・被災地の復旧
・国民の避難誘導(海外への避難及び帰国を含む)
・空路、陸海路、鉄道その他交通路の確保(物流の確保を含む)
・交通法規の再検討と改正
・喫緊の対象としては罹災者に対する食糧供給体制の確立
・やがては国民全体の食糧の枯渇に備える供給体制(輸入を含む)の確立
・病院(野戦型病院を含む)その他医療施設(輸血体制を含む)の確保
・夥しい傷病者(敵味方を含む)の救急治療・看護の確保(医師、看護師、医療従事者の確保)、警察・消防の協
 力
・夥しい戦没者(戦死者(敵味方含む)及び非戦闘員の死者を含む)の一時的埋葬
・戦没者の恒久的埋葬・慰霊と顕表彰
・遺族年金
・戦時に適用される生命保険・損害保険(現行の保険においては「戦争」は免責とされている)の再検討
・戦時インフレないしハイパーインフレ対策、その他緊急経済対策
・戦費の確保(国債の発行を含む)
・敵性資産の凍結、その他経済制裁
・戦時における国民の最低限の権利の制限(作戦のため、避難民のためにする他人の土地・建物の一時的収用、情
 報公開の一時制限等)
・戦時に伴って発信されるデマゴーグ、プロパガンダ、フェイク情報などに対抗する正確な情報の広報
・機密の保持
・サイバーテロ対策
・侵略者による戦争犯罪の摘発
・俘虜の取扱、収容の具体策
・民防衛(Civil Defense)の研究、施策

 □ その他すべて数えあげればキリがないほど国民生活の基盤維持に必要な諸課題(凡そ行政全般にわたる)が解決を迫って殺到します。 こうした戦時における基本的なことについて国および地方自治体は民間諸機関と一体となって地についた総合的な検討をすぐにでも開始すべきであります。
 読者の皆様も一緒に考えてください。 

 むすび

 □ 再言しますが、我が国が敵基地攻撃能力の保有を自らに許すことにしたこの度の閣議決定は、畢竟するところ正当防衛としてならば戦争も辞さない覚悟を内外に示したものであり、歴史に記憶されなければならない大きな出来事であります。

 □ 将来の戦争を考えることは、自らを「戦争」の場において考えることに他なりませんが注6、いまおかれている「戦前」の時間は十分残されているのか、既に切迫しているのか、果して「実戦」は可能性としてもあり得ないのか、私には判断がつきません。

 □ しかし私は脚注4に述べたような言霊人ことだまびとでは断じてありませんから、戦争が実際に起きるかどうかはさておき、想像力を働かせつつ、突き詰めて考えてみました。しかし実際に生ずる懸念対象はこんななまやさしいものではないでしょう。

 □ 自衛のための戦争はやむを得ないことですから、それにより国民に及ぶ被害をいかに少ないものにするかについて、事前に真剣に考えてみるべきだと私は思います。言霊人が言うように「戦争のことを論ずると戦争が起こる」というのは誤りで、「戦争のことを論じておかないと手ひどい惨禍をこうむる」と考えるのが正しいと思います。そして突き詰めて考えれば戦争は避けなければならない、という考えにきっと行きつくと思います。諸賢のご高説を拝承したいところであります。


 注6 「戦前の思想」という考えは、柄谷行人『<戦前>の思考』(文藝春秋(1994))によっております。氏の思想は高邁で、十分に理解するにはいたりませんが、氏が「ものを考えるためには極端なケースから出発しなければならない」とする姿勢に触発されたことを付記しておきます。

(令和5年2月24日)

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