
2025.09.18
Yは、平成5年頃にA社(以下「本件会社」という。)の取締役となった者である。また、Xは、平成6年に同社取締役となり、平成10年に代表取締役に選任された者である。
ところで、本件会社の株式は、Xとその賛同者からなる株主グループが20万株、Yとその賛同者からなる株主グループが16万株、B及びその賛同者からなる株主グループが9万株をそれぞれ保有していたところ、令和元年11月の株主総会直前にYがBの株主グループの株式を全部取得した。これにより、Yは本件会社の支配的な株主となった。同総会においては、Xが再任されずに退任することとなった一方、Yは再任されて代表取締役に就任した。
こうした中、Yが、Xの退任時に退職慰労金に関する議題を株主総会に付議せず、その結果、Xは退職慰労金を受給することができなかった。Xは、Yが議題を上程しなかったことが不法行為に該当すると主張して、Yに対し、退職慰労金相当額の損害賠償を求めて提訴した。
原審は、Yと本件会社との間に退職慰労金支給特約が認められないとしてXの請求を棄却したため、Xがこれを不服として控訴したのが本件である。
控訴審は、次の通り述べて原審を取消し、Xの請求を一部認容した。
1 当裁判所は、原審と異なり、Xの請求は、不法行為に基づく損害金1100万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がないと判断する。その理由は以下のとおりである。
2 Xが役員退職慰労金を受給する権利(役員退職慰労金支給特約)の有無(争点(1))
⑴ Xと本件会社との取締役任用契約締結時に、取締役退任時には退職慰労金を支給するとの書面等による明示の特約があったことを認めるに足りる証拠はない(なお、Xは、Xと本件会社の役員退職慰労金支給特約がない場合も不法行為が成立し得る旨主張するが、その場合、Xの役員退職慰労金の支給に関する議題を株主総会に付議すべきYの義務は、直ちには認められないから、同主張は採用することができない。)。
⑵ しかしながら、Xと本件会社との取締役任用契約締結時には、既に役員退職慰労金について定める本件規定が存在したところ、(中略)、本件規定は、退任した役員に支給すべき慰労金は、本規定により計算すべき旨の株主総会の決議に従い、取締役会が決定した額とするとした上で、具体的な算定方法を定めている。また、本件規定が制定されて以降、本件会社において14名の役員が退任し、平成21年11月30日に退任した訴外 D 以外については、それぞれ役員退職慰労金の支給に関する議題が株主総会に付議され、同支給決議がなされて、役員退職慰労金が支給された(中略)。なお、前記 D は、従業員退職金を得たことから役員退職慰労金を辞退し請求しなかった(中略)。さらに、Xが平成 6 年に本件会社の取締役に就任したのは、当時大手企業に勤務中、祖父 E及び父 F の要請を受け、これに応じたものであり(中略)、また、Xは入社と同時に取締役となったものであるから(中略)、本件会社の従業員であった時期はなく、したがって、Xが本件会社の従業員退職金の支給を受けたような事情もない。
⑶ 以上の本件規定の存在及びこれに基づく運用並びにXの取締役就任時の状況に照らせば、Xについては、他の取締役が受ける措置のうち相当と認められるものを受けることができることが黙示に合意されていたものというべきであるから、Xと本件会社との間の取締役任用契約には役員退職慰労金を支給する黙示の特約があったものと認められる。
3 Yが、Xの役員退職慰労金に関する議題を株主総会に諮らないことの違法性の有無(争点(2))
⑴ 前記 2 のとおり、Xと本件会社との間の取締役任用契約には役員退職慰労金を支給する黙示の特約があったものと認められるから、本件会社の取締役であるYは、株主総会にXの役員退職慰労金の支給に関する議題を付議することを取締役会等で決定し、株主総会の判断を経る義務を負うものというべきである。
これに対し、Yは、XのYに対する暴行、従業員に対するパワハラ、経営の悪化という正当な理由があるから、Xの役員退職慰労金に関する議題を株主総会に付議しないとしても違法ではない旨主張するので、それぞれ検討する。
⑵ 証拠によれば、Xは、本件株主総会の前頃、訴外 B から委任状をすでにYに交付した旨聞き及ぶと、令和元年 11 月 27 日、本件会社事務室のYのもとを訪れて、委任状の件を問いただし、部屋を出ようとするYともみ合いになり、Yの顔面を平手で押す暴行を加え、その際、事務室窓ガラスにひびが入ったものと認められる(中略)。
しかしながら、この件について、Yが入通院を要したなど傷害を負ったものとは認められないし、同事務室に警察官は臨場したものの、Xに対する最終処分は不起訴(起訴猶予)とされたのであるから(中略)、これにより畏怖した従業員がいるものとしても(中略)、前記暴行の事実をもって役員としての功労を抹消するような非違行為であるとは認められない。
⑶ Yは、Xが在職中数々のパワハラ行為を行った旨主張するが、反対尋問を経ない陳述書がある以外には、これを裏付ける客観的な証拠はなく、直ちに同事実を認めることはできない。
⑷ Yは、X在任中に本件会社の業績が悪化した旨主張するところ、たしかに証拠(中略)によれば、本件会社の売上高が減少する傾向がみられるが、売上高の減少は、本件会社が扱う更生タイヤ業界の動向にも影響を受け得るものであって、更生タイヤ業界全体の経済状態も悪化していることからすれば(中略)、本件会社の売上減少がXに起因するものであるとは直ちに認められない。また、本件会社の純利益は、黒字及び赤字を行き来し、全体として利益があがっていないものと認められるが(中略)、X在任期間中に収支のバランスを失っているとまではいえない。よって、本件会社につきXに専ら起因する業績の悪化があるとは認められない。
⑸ 以上によれば、Yの前記各主張は、いずれもXの役員退職慰労金の支給に関する議題を株主総会に付議しないことを正当化する理由となるものとは認められない。したがって、本件会社の実質的な支配株主であり、かつ、代表者であるYは、合理的期間内に、Xの役員退職慰労金の支給に関する議題を株主総会に付議することを取締役会で決定する義務を負うものというべきである。なお、Yは、Xが少数株主権を行使して議題の提案、株主総会の招集請求及び裁判所の許可のもとでの招集をそれぞれなし得る旨を指摘するが(会社法 303 条 2 項、297 条 1 項、4 項)、前記のとおりXと本件会社との間の取締役任用契約には役員退職慰労金を支給する黙示の特約があったものと認められる上、Xが前記株主権を有することにより、Yが上記義務を免れるわけではない。
4 相当因果関係の有無及びXの損害額
(争点(3))
⑴ Xの役員退職慰労金の支給に関する議題が株主総会に付議された場合、訴外 B からその有する株式の譲渡を受けたことにより多数派を形成しているYグループが反対すれば、否決されると考えられる。
⑵ もっとも、Yは、Xとともに本件会社の取締役であった者であり、Xと本件会社の間の役員退職慰労金支給特約を履行すべき義務を負う者であるから、本件会社のように株主がXグループとYグループに限られ、その中で経営陣に参加していた者がXとYに限られるという極めて閉鎖的な会社においては、その立場が取締役から株主に変わったからといって、同義務の履行について相反する行動を認めることは相当ではない。
そこで、本件会社においては、Yが取締役会決議を行ってXの役員退職慰労金の支給に関する議題を株主総会に付議したときには、Yは、その議題に賛成し、他の株主とともに、取締役会において本件規定に則り計算した額の役員退職慰労金を支給すべき旨の決議をすべきものと認められる。同決議がなされた場合には、取締役会が本件規定に基づき相当と判断する役員退職慰労金額の支給を決定することとなる。よって、Yが取締役決議を行ってXの役員退職慰労金の支給に関する議題を株主総会に付議しなかったこととXに支給されるべき役員退職慰労金相当額との間に相当因果関係があると認められる。
⑶ Xが本件株主総会前頃にYに対して本件会社の事務室内で暴行を加えたこと(中略)、本件(中略)会社の従業員らの中にはXのパワハラを訴える者もおり(中略)、前記暴行の存在も考慮すると、パワハラの事実は措くとしても、Xの対応が本件会社の従業員の士気に影響を与えているといえること、更生タイヤ業界の状況の影響があるとはいえ、本件会社の経営状況は悪化しており、利益がさほどない状況であって、取締役としての経営責任は指摘され得ることなどの事情を考慮すると、「在任中、特に会社に重大な損害を与えた者」(本件規定 9 条)といえないものとしても、これに準ずる事情があるとして、本件会社の取締役会は、Xの役員退職慰労金につき、本件規定により算出される額よりも相当額の減額をすることが許されるものと解されるが、本件に現れた一切の事情を考慮すると、その役員退職慰労金の額を、少なくとも 1000 万円を下回るものとすることは相当ではない。
⑷ したがって、本件における損害額は、役員退職慰労金相当額 1000 万円及びその弁護士費用相当額 100 万円とすることが相当である。